語り合うのはこの2人!
モデルなかばで思春期突入。いきなり、イメチェンを敢行!

─長野県に、たった1台しかないです……。
津田:なにが?
──中古のAR125、グーバイクで見たら40万円ちょっとで売られているたった1台だけの掲載でした。※2021年時
津田:当時からけっしてメジャーな車種じゃなかったからなあ。当時「オレ、ARが好き!」っていうライダーの大半は、50ccか80ccモデルのことを指していたし。
編集部(以下、編):たしかに50、80のイメージは強いですね。あの痩せっぽっちの細〜いフォルム、加えてずいぶんとタイトな18インチタイヤ……デカい俺が乗ったら?
一同 ARがかわいそう!(笑)
──にしても先代のKH125からだいぶ様変わりましたね、ビキニカウルのAR125は。
津田:水冷AR125は1983年生まれ、空冷KH125は1977年生まれ。この頃の6歳差はだいぶ大きいよね。KH125系は「GTO125」に名前を変えてわりと最近までタイで生産されていたという不思議。
──でしたね! でもアレには「これぞKHの再来!」とはなかなか言い切れないビミョーなものがありましたけれど。
編:でもタンク形状はかなり似てた。
津田:AR系では最終的には「ニンジャ150RR」というネーミングでずっとタイで生き残っていたんだから。こちらも摩訶不思議。
編:タイ万歳! で、そこらへんのしぶとさはカワサキらしい、と。
津田:AR125はワインディングでメチャ速かったんだよ。下りなら大排気量車だってカモれた。同じカテゴリーのライバルはヤマハのRZ125くらいしかいなかった。いや、MBX125Fもいたけれど……なぜか峠マシンとしては人気がなかった。まだまだホンダは4ストを諦めていなかったからね。


▲2型になって変更されたのはカラーリングとアンダーカウルの装着などで、基本スペックは初期型と同一。搭載される「RRIS」はロータリーバルブとリードバルブそれぞれのメリットを両立させるためのカワサキ独特のシステムで、のちのKR250(1984年発売)にも採用された。
──でもそのあたりからどんどん2スト×4ストの両刀路線が進んでいきましたよね?
津田:そだね。でもまあMBXのルックスがほぼVT250F/MVX250Fだったことを考えると……それほどホンダのやる気は感じなかったな。
編:ワインディングで速かったARとRZの違いはどこですか?
津田:カワサキの新機軸、RRISはたしかに画期的な仕組みなんだけど、いかんせん整備性がイマイチだった。RZは無難なリードバルブでシンプル構造。こちらの方がずっとメンテナンスしやすかった。
──22馬力を最初に達成したのはRZよりもARとMBXが先だったみたいですね?
津田:そうだね。でも峠派の支持はRZとARで人気を二分していた。ヤマハにはちゃんと熱心なファンがついていたから。
──スズキはそのころ……?
津田:RA125とSX125R。がっつりオフローダーに夢中だった。
一同 さすがだぜ、スズキ!
津田:RG125ガンマが1985年にやっとデビューだから、だいぶノンビリ屋さんだったなあ。
──でもオフ車のジャンルで真面目に、速そうな2ストマシンと楽チンそうな4ストマシンをきちんと育てていたんだから。やっぱりさすが。
編:そしてARのニンジャ化!
──そう、ARも3型になった時にだいぶイメチェンしましたね。痩せてたアイツがいきなりガチムチに。
津田:大学デビューか。
──やっぱり、トム・クルーズが滑走路でトムキャットと並走ガッツポーズをキメたせい?
津田:そりゃもう1986年公開の大ヒット作『トップガン』の影響がモロ、だろ。ハーイウェーイ・トゥ・ザ・デインジャゾーン♪
編:モロ、だな。そこらへんカワサキは、じつはかなりの風見鶏ですから。男カワサキなんて誰が言った!
津田:そんなマルコがいちばん好きそうじゃん、マッチョ単車(笑)
編:だから自分、900ニンジャを買いました〜(笑)
──まあ、そういう津田さんもAR50/80をずっと大事にコレクションしてますもんね。やっぱりAR125も好き?
津田:そりゃね。
一同 やっぱり!
編:そういう宮崎はどうなのよ?
──じつはいまでも3型のカタログを大事に持ってます……。
津田:なんだ、みんなAR125が好きなんじゃん!(笑)



