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【新・カーデザインここだけの話】 三菱自動車ゴールデンエイジ物語 第二回 ランエボヒストリーの始祖 初代三菱ランサーは凄かった! 2

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1973年の第20回東京モーターショーに展示された、サザンクロスラリー優勝車。発表されたばかりの三菱ランサーが初参戦し、なんと1,2,3,4位フィニッシュを果たした。展示されたのは、アンドリュー・コーワン氏(後の三菱WRCチーム代表)のドライブした優勝車。

カーデザイナー荒川健氏が、デザイナーとして最初に入社したのが三菱自動車1970年代という激動の時代に、カーデザイナーとして社会にその一歩を踏み出した。現代では考えられないような様々な体験と出会いに、ちょっとワクワクしてみよう。

三菱ランサーGSR。わずか1.6ℓOHCであることはGSLと変わらないが、ソレックスのツインキャブ仕様であることがGSRの証。2ドアのみの設定で、ドア後方にGSRのバッジが冠される。

1975年の三菱自動車は三菱重工から分離独立して5年目、今でもお付き合いのある工場技術で活躍された有名国立大の大学院出の先輩はそのころ会社から自工(三菱自動車)へ出向を命じられ、左遷と同じに思え落ち込んだと言っていた。本人もさることながらご両親が大変がっかりされ、その方がつらかったそうだ。つまり当時はまだ技術屋さんにとってジドウシャは重工と比べ二流だった。

確かに1970年頃の三菱重工は国防に関するロケット開発、航空機、戦車から工場プラントといったスケールの大きい、いわば機械少年が携わりたい夢の会社だったのである。
私が学生時代、多摩美術大学での専任講師の先生が「自動車デザインは商業デザインだ・・・」とおっしゃっていたことからも、世の中の保守派の方達からは「自動車はナンパなもの」といった見られ方をされていた時代だった。
そんななか日産ブルーバードやフェアレディZがサファリラリーで活躍し石原裕次郎の映画「激走5000キロ」も制作され、日本での自動車時代の到来を予感させる機運は高まっていたのだ。

1977年サファリラリー参戦のA・コーワン氏のマシン。白いボディに艶がないのは、軽量化のために中塗りも含めて節約しているためだとか。(MITSUBISHI WHEELS No.16より)

さて、前回はなぜ新入社員がWRCマシンと同等のクルマを持っていて、それがどうして三菱自動車京都エンジン研究所に置いてあるのかをお話した。
そしていよいよ京都の初夏の宵闇に本物のラリーランサーは緩やかに走り出したのだが、そのサスペンションの硬さといったら路面電車の線路のデコボコでもガンガン脳天に響き、これは夕食でビールも飲まず控え目にしておいて正解だったとつくづく思った。

ここで走り出す前のビジュアルチェックを書いておこう。
ホワイトの塗装は艶が無く異様なので聞いてみたら、少しでも軽くするため中塗りも含め3~4㎏は節約しているとのこと。ブラック艶消しのボンネットは当然アルミに変えてあり中央の膨らみがかなり大きく不自然だ。

ワイヤーロックを外し開けるとエンジンはまるで別物で見たことの無いエアクリーナーや補器類、コードが整然と詰まり、きれいに磨かれたストラット・バーやきらめくボルトナットの美しさが唯ものではないオーラを放っているではないか!

フロントガラスも薄くし軽くしてあるかもしれないとのことで、インテリアに至ってはインパネアッパーはそのままみたいだがメーターがぎっしり付けられ、スイッチ類以外は何も無く、コ・ドライバー側の薄いレーシングシートの足元にはでかい消火器がありロールゲージが邪魔で腕力が無い私にとって乗りにくいのにはびっくりした。

ランサー2ドアのサイドビュー。(写真は1400 SL-5) わずかなコークボトルラインを纏う、ロングノーズ&ショートデッキが特徴。比較的小さなウインドウが軽量化に効いた。

初代ランサーは当時としても地味で時代遅れのスタイルだった。古臭く感じる原因が車両重量を軽くするため全てのウィンドウを10%ぐらい小さく設計したことにある。だがこれがボディを徹底して軽量化した最後に、ガラスの小ささが効いて同クラスのラリーカーの中でも約750㎏と軽い方であった。つまりベースがラリーカーに向いていたのだ。

しかしひとたびブラックアウトのボンネット、ごついタイヤとオレンジの泥除けフラップ、腰高なリフトアップスタイルに大きめのマーシャル・ドライビング&フォグランプが付くと、とつぜん他車を寄せ付けない超硬派の威容を誇る姿に変貌出来る不思議な底力のあるスタイリングをしたクルマなのである。

僅かにコークボトル(コカ・コーラのガラス瓶のようにくびれた形状)デザインであることやボンネットの長さに比べトランクが短いことや全体が心地よい丸みのあるフォルムであるなど、基本的なシルエットのバランスが良かったため、「羊の革を被った狼」に変身できたのだ。

昔はBMW2002やいすゞ・ジェミニなど足回りを固めるとカッコよく変身するクルマがあったが最近はこのタイプが消滅してしまったのが残念だ。

1977年、日産バイオレット、プジョー504クーペ、フォード・エスコートは2ℓ。またランチア・ストラトスは2.6ℓのミッドシップ。錚々たるメンバーだ。

さて、1時間ほど街中を法定速度よりかなり下回るくらいにゆっくり走り、いよいよ目的地の林道に着いたころには午後9時ころで、当時は走りに来るクルマは極めて少なかった。
登りに差し掛かる手前でT君が「シートベルトをきつく締めてね。そろそろいきます」といったと同時に、遮音材の無い車内は脳天にしみる金属的な排気音と同時にタイヤのけたたましいスリップ音に包まれた。
それと同時に襲ってきたロケットみたいなはげしいGに私は思わずバケットシートのヘリを力いっぱい掴んだ。

狭い道にもかかわらず数秒でメーターは瞬く間に跳ね上がり、あっという間に左カーブに突っ込んでゆく。

抜けたと思ったら次の右カーブはもう目の前だ。素早いダブルクラッチで2速にギヤチェンジし減速したと思いきや、カーブをドリフトしながらどんどん加速しっぱなしではないか!
こうしたカーブを数回通過したころ、私はようやく我に返り、ひょっとしてカーブの向こうから対向車が来たらお陀仏ではないかと気が付き、「対向車が来ないのがどうしてわかるの? 勘じゃないよね」と思わず聞いてしまった。

すると彼は笑って、「ここは年中走っていて全て記憶してますよ。対向車のライトが斜め上から降りてくるのが見えるんです。見えないカーブが2か所あるので、そこはゆっくり行きますから大丈夫」と落ち着いたものであった。

そしてしばらくするとそのブラインドのカーブに差し掛かり、対向車がいきなり現れた。こちらは先ほどよりはゆっくり走っていたのだが、それでも向こうはこちらのスピードにびっくりしたらしく、だいぶ経ってから下の方で抗議のクラクションを鳴らしていた。
「昼間はライトが見えないので早くは走れない、夜だからこそですよ」と平然と言う彼の言葉に、ようやく私も冷静さを取り戻すことが出来た。
それにしても、ご両親はよくぞ応援しているものだと敬服したが、ひょっとしてこんなような現実は知らないのではないかと気の毒になった。          次回に続く、お楽しみに。

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