連載
今日は何の日?■日産からのOEM車「フーガ」を三菱が「プラウディア」と命名

2012(平成24)年4月26日、三菱自動車は日産自動車からOEM供給を受ける「フーガ」をベースとした高級セダンの車名を「プラウディア」に決定したと発表した。同時に日産・シーマを「ディグニティ」の車名で、プラウディアとともに同年7月26日から販売を始めた。
先代は“走るシーラカンス”と呼ばれた3代続いたデボネア

プラウディアの先代にあたる「デボネア」が誕生したのは1964年7月のこと。三菱自動車が三菱重工から独立したのは1970年なので、当時はまだ三菱重工の自動車部門が開発した。

当時三菱は、軽自動車「ミニカ」や小型乗用車「コルト」シリーズを投入し、自動車総合メーカーを目指してフルラインナップ展開を進めていた。デボネアが目指したのは、当時の「トヨペットクラウン」や日産「セドリック/グロリア」に対抗する最高級車、会社の幹部や政府の要人が運転手付きで乗るようなショーファーカーだった。
目を引いたのは、元GMの設計者がデザインした斬新なアメ車風スタイル。ボンネットとテールの両サイドにエッジを立て、太いフロントバンパーに広いフロントグリルによって、豪華かつ重厚な雰囲気を漂わせていた。
パワートレーンは、最高出力105ps/最大トルク16.0kgmを発揮する2.0L 直6 OHVエンジンと4MTの組み合わせ、最高速度は150km/hでクラストップレベル。道を走れば注目される存在だったが、残念ながらクラウンやセドリックが市場に普及したのに対して、デボネアは徐々に三菱グループ幹部の社有車的な用途が主になった。


その後、22年間ほぼそのまま、基本設計やデザインを変えずに販売されたことから、“走るシーラカンス”と呼ばれ、1986年8月に2代目、1992年10月に3代目へと続いた。

デボネアの後を継いだプラウディア/ディグニティ
2002年2月、デボネアの4代目に相当する「プラウディア/ディグニティ」が、当時資本提携していた現代自動車との共同開発で誕生した。

高級車らしい快適性と静粛性のために安全強化ボディRISEの採用やSRSエアバッグ(前席、助手席、前席サイド、後席サイド)、足回り、シートなど最高級の仕様が選定された。兄弟車のディグニティは、ホイールベースを250mm(全長は285mm)延長したリムジンタイプで、秋篠宮家の公用車として使用されたことで注目された。パワートレーンは、最高出力280ps/最大トルク42.0kgmを発揮する4.5L V8 DOHCと240ps/35.0kgmの3.5L V6 DOHCのいずれもGDI(筒内噴射)の2種エンジンと5速ATの組み合わせ。
ただし、プラウディア/ディグニティもそれまでのデボネアと同様、三菱グループ幹部のショーファーカーとしての役割が主で一般ユーザーに浸透することはなく、僅か1年余りで販売台数1228台、そのうちディグニティは59台の販売台数で生産を終えた。
日産フーガ/シーマのOEM供給でプラウディア/ディグニティが復活

2012年4月のこの日、「プラウディア/ディグニティ」の名前が11年ぶりに復活した。ただし、2代目となるプラウディアは日産2代目「フーガ」、ディグニティは5代目「シーマ」のOEMモデルだった。発売は、同年7月から始まった。
プラウディアのパワートレーンは、日産製の最高出力225ps/最大トルク26.3kgmの2.5L(VQ25HR)と333ps/37kgmの3.7L V6 DOHC(VQ37VHR)の2種エンジンと7速ATの組み合わせ、駆動方式はFRと4WDも設定された。ディグニティには3.5L V6 DOHCエンジンに68psのモーターを組み合わせたハイブリッドと7速ATの組み合わせ、駆動方式はFRのみだった。


車両価格は、プラウディアが402.2万~555.3万円、ディグニティは840万円。本家のフーガとシーマとの違いは、グリルとエンブレム、ホイールキャップくらいなので、プラウディア/ディグニティ自体の存在感をアピールすることなく、2016年に販売を終了した。
・・・・・・・・・・
プラウディアも元祖のデボネアと同様に三菱幹部用の専用車が主だったので、その役目だけでは採算が取れず生き残ることは難しいのだ。一方のOEM供給元の日産「フーガ/シーマ」も、セダン冬の時代では生き残れず2022年8月に生産を終えた。
今日がなにかの記念日になるかもしれない。








