【マクラーレン クロニクル】伝説の3シータースーパースポーツカー「マクラーレン F1」解説

今も伝説の3シータースーパースポーツカー「マクラーレン F1」を解説する【マクラーレン クロニクル】

オンロードを走れるF1マシンと形容される「マクラーレンF1」。だがF1は、車両規定による制約がない分、逆に当時のF1マシンよりもはるかに進化した存在だったという。今も伝説のロードカーとして語り継がれる「F1」を2回に分けて解説する。

McLaren F1

ブルース・マクラーレンが描いた夢

後に20世紀の最高傑作とも称されることになるスーパースポーツが、初めてその存在を明らかにしたのは、1992年5月12日、伝統のF1GPで賑わうモナコの地でのことであった。

究極のオンロード・スーパースポーツを生み出すために、1998年にイングランドの田舎町、ウォーキングに設立されていたマクラーレン・カーズ・リミテッドの手によるそのマシンの名はシンプルに、そしてこれ以上に明確にそのキャラクターを物語るものはない「F1」。

それは1963年にブルース・マクラーレン・レーシング・モーターレーシングを創立。しかしながら1970年には同年のCan-Amシリーズに投入する計画だった「M8D」のテスト中の事故でこの世を去った創始者、ブルース・マクラーレンが描いていた夢、すなわち自身の名を掲げたロードモデルを世に送り出すことが現実となった瞬間でもあった。

当時のF1マシンよりもはるかに進化

マクラーレンF1の最初のプロトタイプ「XP1」は、1992年の12月には早くも走行テストを開始している。ちなみにマクラーレンはこのXP1をスタートに、「XP5」まで合計5台のプロトタイプを製作。XP5はプロモーションのために日本にも上陸し、東京や鈴鹿サーキット、そして当時のTIサーキット英田などで、その姿を日本のエンスージアストに披露することになった。

マクラーレンF1は、オンロードへと導かれたF1マシンであるとよく形容されるが、それは必ずしも正しい表現ではない。なぜならロードカーたるF1は、車両規定による制約がない分、逆に当時のF1マシンよりもはるかに進化した存在だったからだ。その象徴ともいえるのが、エアロダイナミクスへの取り組みだ。エクステリアの画像を見ていただければすぐに理解できるように、マクラーレンF1のボディ上面には派手な造形の空力的付加物は採用されていない。正確にはリヤエンドには収納時を含めれば3ポジションに角度が変化できるリヤウイングが装備されており、ドライバーはそのポジションを自ら変化させることでダウンフォース量を調整できるほか、ブレーキング時にはエアブレーキとしての機能も果たす。

ダウンフォースの多くはボディ下面を流れるエアによって作り出される、いわゆるグランドエフェクトカーとしてマクラーレンF1は設計されているわけだが、さらにその効率を高め、同時に冷却効果を高めるための電動ファンも装着されている。これはF1GPでまだ車両規定による制約がなかった時代、ブラバムの「BT46B」が採用したものと同様。ちなみにそのエンジニアは、マクラーレンF1の開発を主導した、ゴードン・マレーその人である。

ドライバーズシートはセンター

マクラーレンF1の核となるのはロードカーの世界では世界初となるカーボンモノコックだ。F1GPの世界においても、1981年からカーボンモノコックを使用しているマクラーレンだけに、その技術的な優位性は高かった。実際にはリヤフェンダーなどとともに一体成型されるセミモノコック構造だが、その剛性は圧倒的なものだ。

そして重量面でも強い拘りを見せたマレーは、ドライバーズシートをセンターに、その両脇のやや後方にパッセンジャーシートをレイアウトする3シーターのキャビンを設計した。センターのドラバーズシートに乗り込むための乗降性を確保するためにディヘドラルドアを採用したのも特徴だ。

ミッドに搭載されるエンジンは、マレー自身にとってはブラバム時代の戦友となるBMW、そのモータースポーツ部門であるM社の手によるものだった。「S70/2」型と呼ばれるマクラーレンF1用のユニットは、60度バンク角を持つ6064cc仕様のV型12気筒DOHC48バルブ。最高出力は627PS、レブリミットは7500rpmに設定された自然吸気ユニットである。

驚くべきはその軽量かつコンパクトな設計で、このS70/2型エンジンの全長はわずか600㎜、重量も260kgに抑えられている。組み合わせられるミッションは、アメリカのトラクション・プロダクツ社との共同開発による6速MT。クラッチはトリプルディスクだ。フライホイールもマスの小さなアルミニウム製となる。

1998年に至るまで100台が生産

前後ダブルウイッシュボーン構造のサスペンションには、ビルシュタイン製のダンパーを採用。ブレーキはブレンボとの共同開発によるものだが、ABS機構などは採用されていない。タイヤサイズはフロントが235/45ZR17、リヤが315/40ZR17。ホイールはアルミニウム合金製でOZ製。こちらもタイヤと同様に専用開発によるものだ。

マクラーレンF1のファーストモデルが、カスタマーのもとへデリバリーされたのは1994年12月のこと。ロードモデルはそれから1998年に至るまで約100台が生産されるが、マクラーレンではそのほかに、コンペティションモデルや特別仕様車の生産も行われている。次回はそれらの派生モデルについての解説を進めることにしよう。

アメリカのCan-Amシリーズに参戦するカスタマーに販売していたレーシングカー「M6B」をベースとしたロードバージョンが「M6GT」だ。

マクラーレン初のロードカーを目指して開発された「M6GT」の数奇な運命【マクラーレン クロニクル】

レーシングカーテスト中のクラッシュによって、わずか32歳の若さで、この世を去ったブルース・マクラーレン。レーシングドライバーであり、チームオーナーでもあったマクラーレンの果たせなかった夢こそ、ロードカーの製造である。その初期モデルのプロトタイプ「M6GT」のストーリーを紹介する。

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著者プロフィール

山崎元裕 近影

山崎元裕

中学生の時にスーパーカーブームの洗礼を受け、青山学院大学在学中から独自の取材活動を開始。その後、フ…