ロータリーエンジン復権を果たした真っ赤なマツダ「コスモAP」、車名”AP“に込められた意味とは?【歴史に残るクルマと技術098】

マツダ「コスモAP」
マツダ「コスモAP」
1967年に世界初の量産ロータリー車「コスモスポーツ」で世界にセンセーションを巻き起こしたマツダは、ロータリー車のモデル展開を進めた。ところが、1970年代のオイルショックと排ガス規制強化によってロータリーの勢いは一気に減速。そんな逆境の中でロータリー車復権を果たしたのが「コスモAP」だった。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・歴代マツダ ロータリーのすべて

ロータリーエンジンの隆盛と衰退

コスモスポーツ
1967年に誕生した「コスモスポーツ」。世界初の量産ロータリー搭載車

1967年、マツダは世界初の量産ロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」を発売し、世界中に大きな衝撃を与えた。その後、「ファミリア(1968年~)」を大衆車市場、「ルーチェ(1969年~)」を高級車市場、「カペラ(1970年~)」を中級車市場、「サバンナ(1971年~)をスポーツ車市場へと、ロータリーモデルのラインナップ攻勢をかけた。

1968年ファミリア・ロータリークーペ
1968年ファミリア・ロータリークーペ
ルーチェ・ロータリークーペ
1969年に登場した「ルーチェ・ロータリークーペ」、丸形ヘッドライトがイタリア風
サバンナ
1971年に登場した、パワフルなロータリーエンジンを搭載した「サバンナ」

ロータリーモデルは国内で順調に台数を伸ばし、一時はロータリーエンジンの生産が間に合わないほどの人気を獲得し、マツダはロータリーエンジン量産化に成功した唯一のメーカーとして歴史にその名を刻んだ。

しかし、1973年に起こったオイルショックとマスキー法を起点とした排ガス規制の強化によって、メーカーはその対応に追われ、特にレシプロエンジンに対して燃費と排ガス性能が劣るロータリーエンジンにとっては厳しい状況が続いた。

ロータリーエンジンがレシプロエンジンに比べて燃費と排ガスが不利な理由は、吸排気弁がないため吸排気(ガス交換)効率が悪い、扁平燃焼室なので筒内流動が小さく燃焼速度が遅い、燃焼ガスのシール性が悪い、熱損失が大きい、といったロータリーエンジン固有の構造(特に扁平な燃焼室形状)や機構に起因し、燃費だけでなく、不完全燃焼による排ガス(未燃COとHC)も弱点だった。

ロータリーエンジンのAP(アンチポリュ―ジョン)システム開発

市場では、ロータリーエンジンの燃費と排ガスの悪さがクローズアップされ、好調だった米国ではロータリーモデルの在庫が増え続け、国内の販売は3割近く落ち込む結果を招いた。

このような状況の巻き返しを図るため、マツダは早急にロータリーエンジンの燃費と排ガスを改善することに取り組んだ。まずは、課題の排ガス(HC、CO)の低減のため、サーマルリアクター(排ガス再燃焼装置)+2次エアシステムの見直しが行なわれた。サーマルリアクターは、排気ポートの下流に装着した断熱性の高い熱反応器にエアポンプからの新鮮な空気(酸素)を投入することで、未燃のHCとCOを再燃焼させるシステムである。

さらに燃費については、ガスシール性などロータリーエンジン本体の改良や希薄燃焼化によって、同クラスのレシプロエンジン車と同等レベルまで改善して、ロータリー存亡の危機を乗り越えることに成功したのだ。

一連のロータリーエンジンの低公害技術は、REAPS(RE ANTIPOLLUTION SYSTEM:ロータリーエンジン低公害システム)と総称された。

ロータリー復活の狼煙を上げたコスモAP

上記のようなロータリーエンジンの改良の目途が付き、その広告塔の役目を担ったのが1975年にデビューしたラグジュアリーなスペシャリティカー「コスモAP」である。車名は、世界初のロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」の後継として、またAPを付けたのはロータリーエンジンが無公害車(AP:アンチポリュ―ジョン)であることの証だった。コスモAPは、他メーカーが苦しんだ昭和51年排ガス規制を無事クリアしたのだ。

マツダ「コスモAP」
1975年にデビューした「コスモAP」

パワートレインは、最高出力135ps/最大トルク19.0kgmを発揮する13B(654cc×2)ロータリーエンジン、125ps/16.5kgmの12A(573cc×2)ロータリーエンジンの2種エンジンと、4速/5速MTおよび3速ATの組み合わせ。駆動方式はFRで、最高速度195kn/h、0-400m加速15.9秒を記録した。

マツダ「コスモAP」
1975年にデビューした「コスモAP」

スタイリングは、ロングノーズのワイド&ローの2ドアクーペスタイルで、丸目4灯に面積の大きいフロントグリル、太いBピラーにウインドウが装備されているのが特徴。インテリアは、5連メーターやステアリング、シフトノブにウッドが使用され、明るい色合いの内装色がラクシュアリーな雰囲気を醸していた。

マツダ「コスモAP」
「コスモAP」のフロント室内

車両価格は、トップグレードが179.5万円、現在の価値では約491万円に相当する。コスモAPと言えば、“真っ赤なコスモ”が人気だったが、これはCMで流れた赤いボディカラー(サンライズレッド)が話題になったことから始まった。販売は、翌1976年には6万台にせまる大ヒットを記録、ロータリー復活の狼煙としては十分だった。

3年後にはサバンナRX-7も登場してロータリブームが再燃

1978年には、最も厳しかった昭和53年排ガス規制をクリアしたピュアスポーツ「RX-7」も登場。RX-7は、リトラクタブルヘッドライトを採用したラジエターグリルレスのスラントノーズに、リアは個性的なリフトバックウインドウとリアデッキとし、それまでの国産車にはない斬新なデザインが鮮烈だった。

サバンナRX-7(SA型)
1978年にデビューして多くの若者から愛された「サバンナRX-7(SA型)」

搭載された12A(573cc×2)型ロータリーエンジンは、最高出力130ps/最大トルク16.5kgmを発生し、1000kgを切る軽量ボディによって、最高速度は180km/h(リミッター作動)、0→400m加速15.8秒と、「ポルシェ924」や「フェアレディZ」に匹敵する抜群の動力性能を発揮した。

さらに、軽量コンパクトなロータリーの特徴を生かして、エンジンをフロントミッドシップして、前後重量配分を50.7:49.3と最適化することで、スポーツカーらしい軽快なハンドリング性能も実現。流麗なスタイリングと他を圧倒する走りで、多くの若者を魅了して大ヒットしたサバンナRX-7は、コスモAPととともにロータリー復活の象徴となった。

RX-8
観音開きドアも特徴の「RX-8」

ただし、その後加速した排ガス強化や燃費競争にロータリー車はついていけず、「RX-8」の2013年の販売終了をもって一旦ロータリー車は市場から撤退。しかし、2023年11月にロータリーエンジンを発電機として使うコンパクトSUV「MX-30 Rotary-EV」の市場投入でロータリー復活を果たした。

MX-30 Rotary-EV
ロータリーエンジンを発電機として使うコンパクトSUV「MX-30 Rotary-EV」

マツダのコスモAPが誕生した1975年は、どんな年

1975年には、スバルの「レオーネ4WDセダン」もデビューした。レオーネ4WDセダンは、乗用車初の4WDモデルであり、これによりシンメトリカルAWD(水平対向エンジン+4WD)の原型が誕生し、現在に続く唯一無二のスバルブランドが始まったのだ。

レオーネ4WDセダン
1975年にデビューしたスバル「レオーネ4WDセダン」

少年ジャンプの新連載マンガ「サーキットの狼」が始まり、子どもたちの間で「フェラーリ」や「ランボルギーニ・カウンタック」といったハイパワーを誇るスーパーカーが大人気になり、日本でスーパーカーブームが巻き起こった。

その他、ベトナム戦争が終結、マイクロソフト設立、田部井淳子氏が女性として世界初のエベレスト登頂、ブッシュ式公衆電話が登場、TVアニメ「まんが日本昔話」の放送が始まった。
また、ガソリン112.4円/L、ビール大瓶180円、コーヒー一杯194円、ラーメン210円、カレー280円、アンパン60円の時代だった。

・・・・・・・・
ロータリーらしいパワフルな走りだけでなく、低公害をアピールしたラグジュアリークーペ「コスモAP」。サバンナRX-7とともにロータリーの名車として、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

キーワードで検索する

著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…