1955年の創業から70周年という節目に、川上初代社長の精神が現在の事業活動にどう受け継がれているかをたどり、原点を探る

「ヤマハ発動機の原点」の第1回目はヤマハ発動機の創業者・川上源一の人生哲学に焦点を当てたストーリー。1955年7月に創立したヤマハ発動機は、昨年7月から今年6月までを70周年イヤーとしている。記念イヤーの節目に、川上初代社長の精神が現在の事業活動にどう受け継がれているかをたどり、原点を探る。

“エピキュリアン”という生き方

アーチェリーに熱心に取り組んだ川上源一。日本アーチェリー協会の会長としてその普及も積極的に行った

“人生を徹底的に楽しむ人”を意味する「エピキュリアン」という言葉がある。古代ギリシャ哲学に由来するこの言葉を、川上源一は自身の生き方の考えに据え、趣味も仕事も徹底的に楽しんでいたことが、当時の社内史料などに記されている。

「社長はあらゆるものに積極的に興味を持った。そしてみずから積極的に体験していく。そしてみずから確信して初めて商品化に移す」。

同社の源流である日本楽器製造の社史のなかで、生前の川上の人柄の一面を関係者はこう語っている。

趣味でアーチェリーに熱心に取り組み、その腕も一流だったという川上は、日本アーチェリー協会の会長としてその普及にも尽力。日本楽器製造時代は、アーチェリー部の活動にも積極的に参加し、自身がアメリカから持ち帰った洋弓を手掛かりに、社内関係者に弓の研究・製作の着手を命じ、1959年にFRPを使ったアーチェリーの弓を誕生させた。FRPとは、後に同社のボート製品などで使われる繊維強化プラスチックのこと。

「楽しさの本質を自ら知り、伝える」

自ら率先して製品のハンドルを握った川上源一。初の2気筒エンジンを搭載した「YD-1」の東京での発表会に向かう道中。1957年2月の静岡県宇津谷峠(現在の宇津ノ谷峠)にて

あらゆるものに興味を持ち、時代を読み、ビジネス展開をしてきた川上が経営者として残した実績は、同社が現在グローバルに製品展開するうえでの礎となっている。

「人々の生活を豊かにしたい」という大きな信念も持ち続けていた川上は、生活を楽しむことを拡げるため、製品だけでなくリゾート開発も手掛け、宿泊施設の建設などにも取り組んだ。そのなかで、お客様に提供する料理について“グルメ”とは一線を画した独自の料理思想を記した「エピキュリアン料理」という本も出版。食の領域に至るまで、楽しさを探求する姿勢を貫いた。

宿泊施設の客に提供する料理について記した川上源一の著書「エピキュリアン料理」

「生活を楽しむ」「人々の生活を豊かに」——。1955年に川上がヤマハ発動機の初代社長に就任して以降追い求めてきたこの考えは、時代を超え、同社が現代で掲げる企業目的「感動創造企業」の源流として受け継がれている。

ヤマハ発動機

※文中敬称略