理化学研究所:水のナノメートル空間で現れる特殊なダイナミクスを発見

理化学研究所(理研)放射光科学研究センター利用技術開拓研究部門物質ダイナミクス研究グループのアルフレッド・バロングループディレクターらの研究チームは、水の「ナノメートル空間[1]」で観測される非弾性X線散乱スペクトル[2]の中に「ファノ効果[3]」と呼ばれる干渉効果に似た相互作用が現れることを発見した。

1. ナノメートル空間:1ナノメートル(nm)は10億分の1メートル。ナノメートル空間は、一辺の長さ1~10ナノメートルで作られる空間サイズを指す。
2. 非弾性X線散乱スペクトル:X線を物質に照射したとき、物質のさまざまな励起状態とエネルギーをやり取りした結果、散乱X線のエネルギーが入射X線のエネルギーから変化する現象を非弾性X線散乱といい、エネルギーを変えながら散乱X線強度を観測したものを非弾性X線散乱スペクトルという。このスペクトルを精度よく測定することで、原子や分子の集団運動について詳しく知ることができる。
3. ファノ効果:エネルギー的に離散的な共鳴準位と連続的な準位間で起きる干渉をいう。この現象は非対称的なスペクトル波形として観測され、凝縮系物理学や原子物理学で広く観察されている。

 水は地球表面に存在する最も重要な物質である。液体の運動に関する研究分野は英語で「hydrodynamics」、つまり「水(hydro)-力学(dynamics)」ということからも分かるように、液体の運動はまさに”水に始まって、水に終わる”ともいえる。水についての研究はこれまで数多く行われてきたが、それでもまだ解明されていない課題がいくつか残っている。

 そのうちの一つが「ナノメートル空間」における水の運動。1ナノメートル(nm)は10億分の1メートルで、ナノメートル空間とは一辺が1~10nmの非常に小さな空間のことである。そのような微小空間であっても、水は連続体の運動として記述できるのか、それとも連続体としての近似はもはや成り立たず、個々の水分子(H2O)の離散的な分布(最近接の分子間距離:約0.28nm)を考慮した運動を考えなければならないのか、分かっていなかった。

 この問題を解く実験的研究は、1980年代から1990年代にかけて欧州で始まり、研究者らはX線や中性子線を光源とし、精巧な装置を築いて取り組んだ。その結果、観測する空間スケールを細かくしていくと、水の運動には何らかの新しいモード(運動のパターン)が現れることが多くの研究で示唆された。しかし、実験結果の解析や解釈について統一的な見解が得られていなかった。

研究手法と成果

 研究チームは、大型放射光施設「SPring-8」[5]に設置されている高分解能非弾性X線散乱スペクトロメータ[6]を用いて、1ミリ電子ボルト(meV、1meVは1,000分の1電子ボルト)以下というこれまでにない非常に高い精度でナノメートル空間における水の集団運動を観測した(図1)。

5. 大型放射光施設「SPring-8」:兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その運転管理は高輝度光科学研究センターが行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げたときに発生する、細く強力な電磁波のこと。
6. 高分解能非弾性X線散乱スペクトロメータ:非弾性X線散乱スペクトルを高いエネルギー分解能で測定するための装置。音響波の励起エネルギーは、入射X線のエネルギーの1,000万~100万分の1程度で、非常に高精度でエネルギーの変化を検出しなければ物質の音響波を測定できない。SPring-8のBL43LXUに設置されている高分解能非弾性X線散乱スペクトロメータは、エネルギー分解能、X線強度ともに世界最高性能を持つ。

図1 大型放射光施設「SPring-8」に設置されている高分解能非弾性X線散乱スペクトロメータ

 その結果、二つのことが明らかになった。一つは、これまで考えられていたよりも広い空間まで、水分子サイズの効果に起因する「粘弾性効果[7]」が働いていたことである。これは、従来の認識よりも大きな水分子集団が弾性体としての性質を持つことを示している。

 もう一つは、これまで必要だと考えられてきた新しいモードは実は不要だったということ。新しいモードと考えられてきたものは「ファノ効果」と呼ばれる水のダイナミクスの干渉効果に関係していたことが、非弾性散乱スペクトルの解析から分かった(図2)。これは、ナノメートル空間で観測される水の運動を正確に理解するには、水の拡散(ランダムな運動)モードと音響モード[8]だけでなく、それらのモード間に働く相互作用を考慮する必要があることを示している。

 ファノ効果は分光学ではよく知られた現象だが、これまで実験データの解析に取り入れられたことは全くなかった。このように今回、SPring-8で高精度のデータを取得できたおかげで、長年にわたる論争の問題点が明らかになった。

7. 粘弾性効果:観測する水分子の集団サイズを小さくすると流体としての性質が小さくなり、弾性体としての性質が顕著に現れるようになる。例えば、水中での音速は約1.5km/sだが、非常に小さな分子集団中で観測するとその約2倍になる。これは氷中での音速(約3.2km/s)と同程度である。
8. 音響波・音響モード:局所的な密度変化または圧力変化が媒質中を伝播する波動。

図2 ナノメートル空間で観測された水の集団運動の相互作用[ナノメートル空間で観測された水の高分解能非弾性X線散乱スペクトル。拡散(ランダム)モード(赤破線)と音響モード(灰色)に加えて、新たにその二つのモード間の相互作用(ピンク色)の成分を取り入れることで、実験結果をよりシンプルなモデルでうまく説明できることが分かった]

 本研究により、水のナノメートル空間の運動を理解するには、水の拡散モードと音響モード間の相互作用を考慮すればよいということが明らかになり、液体のモデルを必要以上に難しくせずに考えられるようになった。今後、他の多くの液体でもナノメートル空間の興味深い運動が観測されると考えられる。そして、今回明らかにした相互作用を考慮することで、液体の運動のより正確なモデルを作成でき、メソスケールの液体の運動の理解が一層進むものと期待できる。

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