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  • 2017/08/18
  • MotorFan編集部

【コラム】華麗なる自動車泥棒 (安部譲二)Vol.18

作家・安部譲二の華麗な自動車遍歴コラム。名車と聞けば馳せ参じる安部譲二、波乱万丈のクルマ人生!

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(イラスト 鐘尾 隆)
作家・安部譲二の華麗な自動車遍歴コラム!クルマが人生を輝かせていた時代への愛を込め、波乱万丈のクルマ人生を笑い飛ばす!月刊GENROQ‘97年4月から56回にわたり連載された『クルマという名の恋人たち』を、鐘尾隆のイラストとともに再掲載。青年期からギャング稼業時代、そして作家人生の歩みまで、それぞれの時代の想いを込めた名車、珍車(!?)が登場します。稀代のストーリーテラー安部譲二のクルマ語りにご期待下さい!(毎週連載)
(文:安部譲二 イラスト:鐘尾 隆)

第18回  フォード・エドセル

ひょんなことで、ボロボロのエドセルに乗ったのは、74年の秋でした。
 
選んで手に入れたわけでもなければ、好きなクルマだったのでもありません。革命軍と政府軍が内戦をやっていたボリビアで、6ヵ月もかなり苛酷な仕事をやった僕は、やっとの想いでブラジル領に逃げ込むと、命拾いをしたのですから、国境の小さな町で盛大に毎日、呑んだくれていました。

24年も前のことなので、僕もまだ37歳の若さだったのです。

ボリビアとブラジルの国境は、河巾が10mほどのゆるやかに流れる川でした。いつ来るか分からないリオ・デ・ジャネイロ行きのバスを待って、僕が煙草を吸ってボンヤリ川を眺めていたら、流れから頭と右手だけを出した若い女が、白い歯を見せて「ハポネサ、ナオ」と叫んだのです。
 
町で1軒の階下はバーになっている宿屋の娘でしたが、もう名前は忘れてしまいました。この頃のことは、祥伝社から出版した「黄金の悪夢」に書きましたが、平和で豊かな日本の常識では、とても信じられないような場所と時代だったのです。

人間がまるで魚や虫のように生まれ、そして死んで行きます。酒場の喧嘩で人が死ぬと、店の親爺と用心棒が死人の足を引っ張って、川に抛り込みました。誰も悲しむ者なんていません。掃除の婆様が床に流れた血に砂を撒き、外に掃き出してしまえば、それで終わりでした。

僕自身それまでの人生観が、この時の半年で根本から狂ってしまって、旧に戻るまでに10年ほども掛かってしまったのです。

「気を付けろ。ピラニアにオッパイの先を喰い千切られるぞ」
川の中で水浴びをしていた娘は、立ちあがって右手に持っていた石鹸を、見事な上半身に塗りつけながら、「ピラニアはいないけど、カンジェロはいるから、用心にこれを付けているわ」
 
身を沈め素早く塗りつけた石鹸を落とすと、立ち上がって足の間の茶色の物を見せました。ダートの道は、バスがやってくれば遠くからでも、猛烈に巻きあげる土埃りで分かります。

僕は川岸に近寄って、娘の脚の間の茶色の物に目を凝らしました。縦が10㎝で横が4㎝ほどの、素焼きの土器で、隅の穴に紐が通してあって腰に結んで固定しています。

話には聞いていたカンジェロ除けの素朴なプロテクターでした。カンジェロは、日本の魚類図鑑には食肉泥鰌と書いてある小魚です。
 
人間の男には害がありませんが、プロテクターをしていない女が川に入ると、柔らかいところからどんどん中に入って、内臓を喰べてしまうのですから、堪ったものではありません。
 
昨晩、16歳だと僕に言った娘は、待っていてもバスなんかいつ来るか分からないから、リオになんかいかないで、自分の男になってこの町に住んだらどうだ……なんて、ニコリと笑って言い放ちました。

「駄目だ、おふくろが重い病気だから……」と、僕が言ったら、川から上がって来て身体にタオルを巻いた娘は、「それならいつ来るかわからないバスなんかボケッと待っていないで、早く行ったらいいんだわ」
 
本当に中国人はのんびりしていると、怒った声で言ったのです。この辺りの人たちは、東洋人は皆、韓国人でも日本人でも中国人にしてしまいますが、早く行けと言ってもリオまで、マトグロッソ州を横断して1400㎞もあるのですから、歩いて行く訳にはいきません。

それにその当時は、治安だって酷かったのです。
「エミリオの裏庭にアメリカの古いクルマが置いてあって、先日、エンジンを外して消防ポンプにしようか……なんて言ってたわ」

あれを買って乗って行けば、3日目にはリオに着くだろうと娘は言いました。エミリオ爺さんの裏庭に置いてあったクルマを見た僕は、唖然としてしまったのです。

背の高い雑草の中に凹んだ屋根だけ見せていたクルマは、前に回ってみたら、なんとエドセルでした。

フォードが創始者の名前を付けて、1950年代に大変な気合を入れて売り出したこのクルマは、なぜかまるで売れなかったので、正確な記憶ではありませんが、確かほんの数年で製造を停止してしまったのです。

エドセルは、フォード車の歴史に残る大失敗作でした。このほとんどスクラップに近いエドセルは、どんな経路で、こんなボリビアとブラジルの国境地帯に辿り着いたのかと、僕は自分のことを棚にあげて思ったのです。

エミリオ爺さんは、どこでどうして手に入れたのか、拾ったのか盗んだのか何も言いません。僕も訊きもしませんでした。この辺では、そんなことは全く問題にもならないのです。

4ドアの後ろの右側のドアは、外れて雑草の中で錆だらけになっていたのですが、丸坊主ですがタイヤも空気は抜けていませんでした。バッテリーもやっとセルモーターが回るほどには生きていて、エンジンも「ドロ、ドロドロ」と、酷い音でしたがなんとか動いたのです。
 
エミリオ爺さんが、USドルの500ドルくれと言ったのに、僕は5ドルでこんなに綺麗な娘さんが朝まで一緒にいてくれて、朝飯にはフェジョアーダとコーヒーまで出してくれるのだから、500ドルなんてとんでもない値段だと叫びました。この辺では当たり前のことですが、こんな交渉はとても時間が掛かって、うっかりすると何日も掛かってしまうのです。

埃が積もったメーターは、エンジンがまわっているのに動いているのはひとつもありません。やっと120ドルで渋太いエミリオ爺さんが承知した時は、すっかり陽が暮れていました。ヘッドライトは右側が点きません。

右の後ろのドアは付いていなくて、凹んだ天井は時々、運転していた僕の脳天を打ちました。ショックアブソーバーなんて、ほとんど機能しているとは思えません。

町に1軒だけあった汐垂れたガソリンスタンドで、僕はラジエーターに水を入れ、エンジンオイルを足し、ガスを満タンにして、さらに18ℓのポリタンクをふたつ一杯にすると、トランクの中に納いました。
 
リヤシートに載せたのでは、ドアがないので、カーブで外に落っこちてしまいます。こんな酷いエドセルで、地図の上では1400㎞も離れているリオ・デ・ジャネイロに、果たして着けるだろうかと、酒場の親爺と娘に手を振って、夜道を走り出した僕は心細くて堪りませんでした。

しかし、なんとアメリカのⅤ8エンジンを積んだクルマはタフなのでしょう。ギヤ付きでクラッチの滑るブレーキの効かないエドセルを操って、僕は4日目の昼にはリオに辿り着いたというのです。

山賊たちも、あまりに乗っていたクルマがボロボロで、僕も汚れたTシャツ姿だったのを見て、銃をつきつけることもしませんでした。リオの屑鉄屋で、僕はこのエドセルを20ドルで売ったのです。

(月刊GENROQ 1997年6月号掲載『クルマという名の恋人たち』再録)


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