環7中間部に見る、変わらないことの安堵感

環状7号線(環7)の50年の変貌をさぐる、4月4日(土)一挙公開3本立て記事のうちの第2回め。

そのおおよそ中間点にして、街並みがにぎやかしくなってくる板橋区から杉並区にかけての52年の変貌を、モーターファン 1974(昭和49)年2月号「道シリーズ・環7特集」掲載の当時写真と照らし合わせながらお見せする。

今回お見せするのは5か所。

メーンタイトルには「環7の52年間の変貌を見る」なんて書いたが、実は今回の5か所は、長い年月にもかかわらず、前回の江戸川区、葛飾区、足立区の場合と違い、景色はそう変わっていないのが印象に残った。
百聞は一見に如かず。
本題に入ろう。

前回と同じく、本記事での航空写真は、すべて国土地理院ウェブサイトからのものだ。

6.板橋中央陸橋(東京都板橋区常盤台)

「スモッグが重苦しく包む環7。路面を揺り動かして疾走するトラックの群---苦悩する環7の姿がそこにある(常盤台)」(「道」特集キャプションより。)

キャプションに「常盤台」と書いてあるのでこれはすぐに特定できた。

写真を見れば前方に橋が見えるだけのただの道路だが、何てことはない、よく考えたら平素私が常用しているセルフスタンドからの帰り道に見ている景色だった・・・はずなのだが、運転席から見る景色と写真で見る景色とでは違って見えるものである。
ましてや現在の写真も、記事掲載のための写真だと思うと見慣れているはずの景色も、どこか知らない初めての場所を撮っている気になるから妙だ。
おなじみの場所も、その時の状況や心境で違って見えてくるのだ。

さて、先に見える橋は板橋中央陸橋で、国道254号線と環7のぶつかり合いを立体交差で回避する橋。
その手前の交差点名もそのまま「板橋中央陸橋」だ。
この写真は東武東上線をアンダーパスする環7上の橋から撮っているが、同じ板橋中央陸橋交差点でも、アンダーパスからの側道用信号は「南常盤台1丁目」になるからなかなか複雑な交差点だ。

というわけで、52年を経て撮った現在の場所がこれだ。

これが・・・
こうなる!
この写真を貼り付けるいま気づいたが、写真右下にある2つのマンホールまで52年間変わっていないことにぶったまげた。
2026年2月12日(木)8:58撮影。
その元画像。サイズを合わせた前の写真の陸橋頂上向こうがふさがっているように見えるが、位置合わせをしそこなったのではなく、その遠方にマンションが建っているためだ。

1973年版と2026年版を比べると、向こう側の建築物はまるで異なるが、道路や橋そのものの形状、信号位置、高速道路の案内標識の位置など、52年の間ほとんど変わっていない。
写真手前側からアンダーパスした後の左に見える標識だって、上下入れ替わってはいても「転回禁止(Uターン禁止)」「車両黄疸禁止」のままだ。

まちがい探しレベルで変わっているのは、陸橋両脇の遮音壁が、走るクルマの屋根よりはるかに高くなっていること、左側に見える高速路案内板の内容がより詳細になっていることが挙げられる。
1973年版で向こう側が何となく靄(もや)がかかっているように見えるのは、キャプションにある「スモッグ(光化学スモッグ)のせいだ。

またまた国土地理院の航空写真を。
板橋区常盤台上空。
1975(昭和50)年1月10日撮影。
現代に近い2024(令和6)年4月10日撮影の同じ場所の航空写真。
道の形、右に見せる学校校舎の形も変わっていない。
色を重ねた1975年航空写真。
2024年色づけ航空写真。
1973年版ページ写真を撮ったと思われる場所。
筆者が撮った場所。
やはりここから撮ったに違いない。
メーンタイトルは「52年経っても変わらない」がごとき書き方をしたが、上空から見ると周囲の建物は大変わりしていますな。

7.大和陸橋南の歩道橋(杉並区高円寺南4)

「もとは純白だったガードレール。排気ガスに真っ黒におかされている。」(「道」特集キャプションより。)。

これは場所の特定をハナっからあきらめていた1枚。
中央分離帯側にある、排気ガスで真っ黒になったガードレールを撮っている。
写真の左側にはトラックが・・・ということは追い越し車線側に立って撮ったわけで、ずいぶんと無茶なことをしたものだ。

手前の高架が歩道橋なのは明らか。
だが、その向こうの高架が道路なのか線路なのかはわからない。
「わかるわけがない」とさじを投げたのもおわかりだろう。
目立つのは歩道橋、歩道橋の支柱、ガードレールくらいのものだ。

だが、あきらめかけても、やけくそで見れば何の変哲のないものでも手掛かりに変貌する。
まずガードレール。
設備の改変や廃止がないことが前提だが、グーグルアースをたどってみると、環7に、中央分離帯側にもガードレールがある区間は意外に限られていた。

次に高架の支柱。
中央分離帯に支柱が刺さる歩道橋も他にはなかった(見落としていなければ)。
つまり、中央分離帯にガードレールが存在する区間内に、支柱が地面に刺さっている高架が連続する場所を見つければいいわけだ。

地名を表すものが写っていないから確定的なことはいえないものの、これらをヒントにグーグルアースをたどったら、どうやらここは杉並区高円寺南4の歩道橋らしいことが割とすぐにわかった。
ただし、まだ「らしい」とまでしかいえない。
問題は向きだ。
航空写真を見たら、向こう側の高架はJR・・・1973年当時なら国鉄中央本線の高架だった。
古い写真では白飛びしているが、実はその中央本線高架の向こうにも歩道橋があるのだ。

1973年から時期がだいぶずれるが、ここでは1979(昭和54)年11月14日に撮影された杉並区高円寺南の航空写真を。
2019(令和2)年11月1日撮影の同所航空写真。
てっきり2つだと思っていた高架は当時国鉄の中央本線の向こう側にもあったのだ。
その関係はいまも変わらない。

2つだと思っていた高架は実は3つで、真ん中の中央本線高架はふたつの歩道橋に挟まれているわけ。
あとはこの歩道橋が線路に対して南側のものなのか、北側のものなのか…つまり環7南から北に向かう外回りの写真なのか? はたまた南下する内回り路線の写真なのか?
ヒントは目の前の歩道橋サイド(写真では正面上方)に見える、桟の下のブラケット(?)。
歩道橋の専門家じゃないからわからないが、たぶん分割している歩道の連結部材だと思われる。
この連結構造(?)を持っているのは、中央本線に対して南側の歩道橋だった。
したがって、この写真は当初の予測どおり、環7外回り線上にある、杉並区高円寺南4の歩道橋に確定である。

というわけで、これが1973年末のMFページ掲載写真。
キャプションのとおり、ガードレールは排気ガスのすすで真っ黒けっけ。
それがいまは・・・
こうなっている。
当時写真をまねてモノクロにした。
52年の間に排ガス浄化は進んでいるし、ハイブリッドが多いこともあって、さすがに現在のガードレールはクリーンなものだ。
その元画像のカラー版。
読者のみなさまには、カメラ位置や画角違い、3つの高架の位置関係が再現できていないことに目をつぶる優しさをお願いしたい。
2026年1月29日(木)15:48撮影。

そのカラー版も載っけておく。

1979年の航空写真でカメラ位置を推測。
それにしても当時のカメラマンはどうやって撮ったのだろう?
2026年版はその少し後方からシャッターを押している。
白状・自首・反省・懺悔・切腹。

なお、「白飛び」なんて書いたが、この記事作成も写真加工も完了し、サイト画面に写真を貼り付けるたったいまの段になって初めて、1973年写真の向こう側に、うっすら、う-----っすら歩道橋が写っていたことに気づいたことを正直に申し上げます。

もうひとつ明かすと、この場所は次項「杉並区高円寺南5」を特定した後にわかった。
南5の場所確認に昼間訪れた後の後の帰り道、北上してこの南4を通過していながら、帰宅後は「この写真の場所はどこだ?」と写真とにらめっこしていたのである。
先に判明していた南5から数百メートル北の場所にすぎないとわかったときは全身の力が抜けたものだ。

8.環7深夜のラーメン屋台(東京都杉並区高円寺南5)

「環7の深夜は屋台ラーメン店がならび、タクシーやトラックが腹ごしらえに立ち寄っていく。」(「道」特集キャプションより。)

かつて環7沿いでは、深夜にラーメン屋台が営業していたらしい。
ページ写真ではトラックが歩道に入り込んで営業中。
車道側には日産チェリークーペが停まっている。
ライト光の量から判断するに、深夜といえど環7を走るクルマは少なくなさそうで、写真からは深夜客がラーメンをすする音がクルマの音に混じって飛び出してきそうだ。

場所特定の目安になるのは環7向こうに見える建物2つ。
たぶんマンションだろう。
仮に手前側を「マンションA」、向こう側を「マンションB」としましょうか。

手前側を「マンションA」、その向こう側を「マンションB」とする。

街の今昔比較は、信号や歩道橋、道路標識は意外と何十年にも渡って変わらないいっぽうで、マンションなどは思うより早く建て替わっていたり、商業施設に鞍替えしていたりすることが少なくない。
ましてや深夜の写真。
ここはもうビルの輪郭と各階の照明の形や数、間隔をヒントに探っていくしかない。
最初、建物の向こう側に何もないことから環7の北の方かと思い、グーグルアースで板橋から足立区に向けてたどり、似たような建物はあったのだが、どうもしっくりこない。
もしやと思って板橋から南下したら写真と同じ建物が見えてきた。
何のことはない、ここもふだん自分がクルマで走っている場所で、しかも前項の高円寺南の歩道橋から数百メートル下っただけの場所だった。
いまはあるまいと思いながらも、グーグルアースの環7を地道にスクロールして特定できたときはうれしかった。

で、この場所が分かった後に、さきに述べた前項「高円寺南4」の場所がわかったのである。
航空写真は、高円寺南4と同5、併せてトリミングした写真をお見せする。

ここからはずらり航空写真を。
まず1979年11月14日撮影の杉並区高円寺南5丁目を上空から。
こちらは2019年11月1日撮影の同じ場所。
色付けした1979年写真。
A、Bのマンションが建つのは、前項ラーメン屋台の場所から数百メートル南下しただけの場所だった。
位置関係がわかってしまうとあっけないものだ。

向こう側ビルの各階外壁に無数に並ぶ四角の模様からして間違いない。
このビルの1階は、現在はバイク用品店になっている。

1973年末の同じページ写真をもういちど。
こちらもモノクロにしてみた。
ラーメン屋台のトラックが置かれたのは、街路樹と街路樹の間だろうか。
ここで立ち寄り客がラーメンをすすっていたわけだ。
その元画像のカラー版。
2026年1月23日(金)1:29撮影。
1973年ページ写真の「深夜」が何時ごろなのかわからないが、筆者が撮ったこの日のこの時間のクルマの量は少なかった。
マンションA:おれたちもお互い長ぇなあ。
マンションB:だなあ。
マンションA:いつまでいっしょにいられるかな。
マンションB:22世紀までこのままなんじゃねえか?
という会話が聞こえてきそうな、ずっと変わらない2棟のマンション。
マンションBの1階は、いまはバイク用品店になっている。
もっとも、ページ写真の主役はマンションではなく、屋台トラックだったのだが。
マンションがよく見えるよう、別アングルより。
当時のカメラマンが撮ったと思われる場所。
いろいろな設備や街路樹が遮る都合上、筆者はこの位置から撮った。

9.関東マツダ方南町店前(東京都杉並区和泉町4)

「環7のような環境には落葉樹の方が強いといわれるが、タールのこびりついたアオギリはどこか力がない。杉並区和泉町で。」(「道」特集キャプションより。)

これも一見、特定しにくいように見える。

大きなヒント、昔のマツダマークの看板!

が、目を凝らせばヒントはあるもので、手前の木に隠れて昔のマツダマークを掲げる看板がちらついている。
これは大きなヒントだ。
現存していればの話だが、環7沿いのマツダ販売店を探せばいいわけだ。


マツダのホームページを見ると、環7に面するマツダ販売店は複数あるが、わざとらしく写っている、ディーゼルエンジン音が聞こえてきそうなトラックの向きから、中央高速につながる首都高新宿4号線や、東名高速に至る渋谷3号線より北と推測。
そのエリアにマツダ販社があり、青空(白黒だが)を仰ぐマンションが建つ場所があるのかないのか、探して見ると・・・あった! ありました! マンションばかりか、マツダ販社の建物も。

ここも・・・
ほとんど変わっていなかった、現在の杉並区和泉。
ただし、マツダ販社の建物は変わっているようだ。
元のカラー版。
2026年1月29日(木)13:23撮影。

52年も経っているというのに、マツダ販社手前にホンダディーラーがあること以外、見事なまでに景色はいっしょ。
さらには向こう側のマンション、その向こうの低めの建屋、さらに向こうの建屋も、2026年になっても52年前のまんま。
ただし、小さめの建物がひとつふたつ増えてはいるのと、1973年版の正面でレンズの邪魔をする木はちょっと場所が移動している。

1973年版写真を見ると、どうにもトラックが邪魔である。
「景色がわかるように、なぜクルマがないタイミングを狙って撮らなかったのか」と、場所の特定をしたい筆者としては恨めしく思ったが、考えてみたら「発達した自動車・輸送トラックによる環7沿線住民の騒音・排ガスの苦悩」がテーマだから、意図的にトラック入れて撮ったに違いない。
テーマがテーマとはいえ、ページ作り手の悪意が感じられなくはない。

現在、マツダ販社の隣(=南側)はホンダ販社になっているが、1975年の航空写真を見るとこの建物もマツダ販社同様、屋上にクルマが置いてある建物になっている。
1973年ページ写真ではトラックに隠れているが、ホンダ販社もこの当時からあったものと思われる。

1973年末とほぼ同時期の1975年1月20撮影の、杉並区和泉4丁目。
2019年11月1日撮影の杉並区和泉。
ホンダ販社:お宅のクルマ、世界初でロータリーエンジンまわしてすごいじゃないですか。
マツダ販社:いやあ。先日のオイルショックでこの先どうなりますやら。
そちらこそ見事ですよ。世界初でマスキー法をクリアしたCVCCシビック、売れているみたいじゃないですか。
ま、このあたり、トヨタや日産より先行したことだし、この先52年はわれわれのメーカーの時代ですな。
ホンダ販社・マツダ販社:ぶわっはっはっは・・・
マンション:あのう、ページ写真の主役、私なんですけど・・・
マツダ販社:・・・・・・。や、やっぱりトヨタはいつの時代も強ぇですな・・・
ホンダ販社:ですな・・・
マンション:あのう、52年前にもいいましたが、ページ写真の主役、私なんですけど・・・
1973年ページ写真の撮影場所はたぶんここ。
2026年はここから撮った。

10.杉並区和泉 & 杉並区方南

「48年3月31日から警視庁は、通行区分と50km/h系統の規制にのり出した。遵守されれば防音・防振の緩和になるというが---。」(「道」特集キャプションより。)
「48年」とは昭和48年=1973年のことだ。

これもわれながらよく見つけたと思う。
地道にグーグルアースをスクロールして同じ景色を見つけ出した。

この写真についても、カメラマンがひとつの場所から次の場所まで歩ける範囲内で撮ったと考えた。
結局はさきのマツダ販社から数百メートル南下した場所にある歩道橋から、結構な望遠で北向きに撮ったものだった。

和泉と方南の境目は、グーグルマップによると環7の中央分離帯になっていて、シャッターを押した場所は歩道橋の和泉側、レンズの向いた先は方南というややこしさだ。
その歩道橋も当時のものに違いなく、錆びだらけでけっこう年季が入っている。

年季の入った歩道橋。52年前のままだろう。

というわけで、その歩道橋の上から撮ってきたのがこれだ。

1973年末、この景色だったこの場所が・・・
いまはこうなっている。
そのカラー版。
2026年1月29日(木)12:41撮影。
いまはバスレーンの区分が路面に記されているだけだ(さきのさびさび歩道橋写真参照)。

1973年写真で大きく見えるマンションはいまもそのままで、現在この1階には「肉のハナマサ」が入っており、前項でのマツダ販社が写っている写真は、実はこのハナマサの前で撮っている。
2026年写真左のすぐ先に、前項で触れたマツダやホンダの販社があるわけだ。
いくらも離れていないことがおわかりになろう。

また登場、1975年1月20日撮影の、板橋区和泉&方南上空。
前項9.のマツダ販社部分も含めてトリミングした。
つまり元は同じ航空写真だ。
同様なトリミングの2019年11月1日撮影航空写真。
こちらもさきのマツダ販社からいくらも離れていない場所だった。
住居など、周囲の細かな建物は変わっても、大きな建築物はお互いに変わっていない、長い時間同じ場所にい続ける同志だ。
1973年のページ写真はここから撮ったに違いない。
筆者も同じ場所から。

ハナマサマンション(勝手に命名)の向こうの建物も変わっていないが、その前後=南北には多くのマンションが増えている。
また、1973年のこの道では多くのクルマがそれなりの速度で疾走しているが、いまは信号と横断歩道が設置されているのが大きな違い。
写真ではわかりにくいが、この横断歩道の部分は神田川をまたぐ橋になっている。

今回はここまで。
次の環7定点観測最終回、世田谷区から大田区までの1973年と2026年をお見せする。
もう公開されていることだろう。
次の3本目でまた。