初代SC対決を制した“100ccの余裕”を謳ったカローラ
1960年代、日本は前例のない高度経済成長を迎え、クルマの数が増えてモータリゼーションに火が付いた。この状況でまず市場が求めたのは、安価で家族が楽しめる1.0Lクラスのファミリーカーだった。

これに応えるため、日産は小型大衆車「ダットサン・サニー(B10型)」を1966年4月市場に投入した。ファストバック風の斬新なスタイリングと軽量ボディが特徴で、エンジンは排気量1.0Lの最高出力56psを発揮する直4 OHVエンジンが搭載された。

一方、半年後の同年11月には、トヨタの初代「カローラ(KE10型)」が“プラス100ccの余裕”のキャッチコピーで登場。サニーより100cc排気量が大きい最高出力60ps を発揮する1.1L 直4 OHVエンジンを搭載。スタイリングは当時最先端のセミファストバックだった。
先陣を切って市場の支持を受けたサニーだったが、半年後に登場したカローラが販売台数でサニーを凌ぐ大ヒットモデルとなり、初代対決はカローラに軍配が上がった。そして、SC対決はわずか3年余りで第2ラウンドを迎えることになった。
2代目サニーは、“隣りのクルマが小さく見えます”と逆襲

1970年1月、「サニー」は初のモデルチェンジで2代目(B110型)に移行。そのキャッチコピーは、“隣りのクルマが小さく見えます”、まさに初代カローラの“プラス100ccの余裕”のお返しだった。

2代目サニーは、初代より大きく直線基調の豪華なイメージに変身し、クラス最大級の室内スペースを誇った。また、空調にはヒーターファンを利用したクラス初のオートベンチレーションシステム、インパネには前面衝撃吸収のパッドが装備されるなど上級化も図られた。

パワートレーンは、新設計の最高出力68ps/最大トルク9.7kgmを発揮する1.2L 直4 OHVと4速MTおよび3速ATの組み合わせ。さらに同年4月には、スポーティさをアピールする、チューンナップした83ps/10.0kgmの高性能エンジンを搭載したスポーティグレード「1200GX」も追加され、軽くて良く走る1200GXは走り好きから支持され人気モデルとなった。

車両価格は、4速MTのセダン標準グレードが44万円/デラックス50.5万円。当時の大卒初任給は3.7万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約273万円/314万円に相当する。


翌1971年4月には、85ps/11.8kgm(シングルキャブ)と95ps/12.4kgm(ツインキャブ)の1.4L 直4 DOHC搭載の「エクセレント」シリーズを追加。また、1972年8月には新設計の5速MTを組み合わせたセダン&クーペの「1200GX-5」も登場し、軽快な走りが注目を集めた。

迎え撃つ2代目カローラは、さらなる高性能化で対応

対する「カローラ」は、サニーから4ヶ月遅れの1970年5月に2代目(KE20型)へモデルチェンジした。ボディタイプは、2/4ドアセダンに2ドアクーペ、3/5ドアライトバンを用意してユーザーの多様性に応えた。

サニー同様、ホイールベースを50mm伸ばしてボディを拡大し、室内スペースを広げてファミリーカーとしての快適性を向上させた。結果として、サニーよりわずかに大きくなり、サニーの放ったキャッチコピー“隣りのクルマが小さく見えます”を有名無実なものにした。

パワートレーンは、1.2L 直4 OHVとそのチューニング違いの最高出力77ps/最大トルク9.6kgm、73ps/9.5kgm、68ps/9.5kgmの3機種エンジンと、4速MTおよび2速ATの組み合わせ。さらに、ボディサイズの拡大に合わせて同年9月には、86ps/12.0kgmの1.4L 直4 OHVエンジンを追加、翌1971年4月には95ps/12.3kgmまで性能を高めて、ファミリーカーの概念を超えた上質なクルマとして高い評価を受けた。

2代目カローラの車両価格は大型化、上級化したにもかかわらず、標準仕様で初代とほぼ同額の43.9万円、これも初代にも増して人気を獲得する原動力となった。ちなみに、現在の価値では約273万円に相当する。

さらに高性能モデルの極めつけとして、1972年3月にスポーツモデルの初代「カローラレビン/スプリンタートレノ(TE37型)」が追加された。レビン/トレノには、最高出力115ps/最大トルク14.5kgmを発揮する高性能1.6L 直4 DOHCエンジン(2T-G型)が搭載され、走り好きから大きな支持を集めた。ちなみに、特に人気が高く今でも話題になることが多い4代目「AE86」は、1983年の登場である。


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大衆車としてモータリゼーションの火付け役となったサニーとカローラだったが、2代目ではファミリーカーの枠を超えて性能競争となった。第2ラウンドも後発のカローラの方が常にサニーを凌駕し、1971年~1973年の販売実績でまたもやカローラがサニーを圧倒し、サニーの雪辱はならなかった。




