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3位:コロナの規制が徐々に緩和されて、なにげに世界1周
コロナのパンデミックが起きるギリギリの2020年2月にイギリスに行って以来、途絶えていた海外取材が復活したのは2021年12月のこと。その時は出国前のPCR検査や帰国後の隔離措置もあり「まだまだ海外に行くのは厳しいな」というのが正直な印象でした。
ところが国内外の規制が緩和された春以降、海外取材が徐々に復活。4月にアストンマーティンDBX707の試乗会でイタリア・サルデーニャ島に出かけたのをきっかけに増えていき、結局フランス、ドイツ、カナダ、オーストラリアとほぼ世界1周することになりました。今やほぼ昔と同じ感覚で行き来できるようになったものの、その間、常に変わっていく出入国の方法、海外と日本の対応の違いを体験できたのは、ある意味で貴重な経験でしたね。
また2月に起きたロシアのウクライナ侵攻をきっかけにロシア上空飛行ルートが変わり、トルコ・イスタンブール空港など中近東にトランジットするようになったのも大きな変化。その道中、地図表示にウクライナが出てくるのを安楽な機内で眺めるのはちょっと複雑な心境でした。あと急騰した飛行機代には辟易としています。早く平和が戻りますように。
2位:40周年を迎えたグループC
2022年のトピックはなんといってもグループCの40周年。世界中のヒストリックカー・イベントで様々な催しが行われたこともあって、いつも以上にグループCに接する機会が多かった1年でした。その中で最も印象に残っているのが7月のル・マン・クラシック。
岐阜のエンスージアストである国江仙嗣さんの呼びかけで、マシンは1985年型童夢トムス85C-L(トヨタがル・マンに初出場して12位完走したマシンそのもの)、ドライバーは当時のメンバーである関谷正徳さん、そして中嶋悟さんの長男である一貴さん(ちなみに一貴さんは1985年生まれ)という2名のル・マン・ウィナー。さらにトムスの舘信秀会長がチーム監督を務めるというドリームチームを結成して参戦。
見事クラス・ポール・トゥ・ウィンを飾り、全員がル・マンのポディウムの頂点に立つという感動的な光景に立ち会うことができました。加えて8月にはポルシェ・ミュージアムのワークショップで歴代956、962の実車とともに、デレック・ベル、ヨッヘン・マス、ハンス-ヨアヒム・シュトゥック、そしてノルベルト・ジンガーともじっくり会話する機会にも恵まれるなどグループCにどっぷり浸かれた1年でありました。
1位:ついに鈴鹿サーキットで優勝
実はHFR(ヒストリック・フォーミュラ・レジスター)というクラブに所属して、1971年型のロータス69で趣味のレースを続けているのですが、3月に鈴鹿サーキットで行われたスーパー耐久開幕戦のサポートイベントとして行われたHFRのデモレースで、ついにクラス・ポール・トゥ・ウィンを達成。
しかも決勝で1分35秒1とHFRのフォーミュラ・フォード・クラスのレコードも更新! 憧れの鈴鹿のポディウムの頂点に立てるわ、“金の鈴鹿”トロフィーももらえるわで、人生最高の瞬間を味わうことができました。
人生最大の野望として「いつかロータス49とポルシェ917のインプレをしたい」を掲げる身として、その第一歩のためにロータス69を手に入れ苦節8年、なかなか結果が出せない日々が続きましたが、昨年あたりから徐々に開眼。100馬力程度のフォーミュラですが、やっと勘所がわかるようになりました。そのおかげで他のクルマのインプレも、よりクリアに感じられるようになったし、先日オーストラリアのサーキットでベントレーを試乗した時にインストラクターに褒めてもらえたりと、仕事に活きつつあるのも嬉しいところ。やっぱ走ってナンボ。ただ金欠で参戦休止状態なのが玉に瑕でありますが……。