歴史から紐解くブランドの本質【テスラ編】

電動プレミアムブランド「テスラ」はなぜ急速に浸透したのか【歴史に見るブランドの本質 Vol.24】

自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

最初は電動オープン2シータースポーツ

テスラはイーロン・マスクの会社というイメージが強いが、彼が作った会社ではない。2003年にマーティン・エバーハードとマーク・ターペニングによって作られた会社である。テスラという社名はセルビア人で誘導モーターや変圧器、無線トランスミッターなどを発明したニコラ・テスラに由来している。2004年にペイパルの成功で財を成したイーロン・マスクが出資し、会長となった。

テスラが産声を上げた当時のBEVは試作車的なものばかりで、性能は最低限、見た目の魅力にも欠けていた。誰もがBEVの本格普及は当分ない、と考えていた時代である。そのような状況の中で彼等が最初に取り組んだのが、電動オープン2シータースポーツカーである。

2008年に発売されたテスラ・ロードスターはロータス・エリーゼのシャーシをベースとした軽い車体を採用し、53kWhの重いバッテリーを搭載しながら車重は約1300kgに抑えられた。加速性能は0-60マイル(96km/h)で3.7秒と加速性能に限れば当時のスーパーカーを超える性能を実現したのである。

進歩的で知的な富裕層の乗るプレミアムブランドへ

2012年発売の大型高級セダン「モデルS」。高級で大型なら、多くのバッテリーを搭載するスペースも、高い価格でも問題はない。

高価なオープンスポーツカーであれば自ずと購入者は車を何台も持っている富裕層に限られるので、価格はもとよりBEVの欠点である航続距離や充電時間、充電場所の少なさはそれほど問題にならなかった。ハリウッドの有名スターもこぞって購入し、テスラは斬新な高性能スポーツカーブランドとしてスタートしたのである。

こうしてステータス性の高い新興スポーツカーブランドと見られるようになったテスラが次に送り出したのが2012年発売の大型高級セダン、モデルSである。全長5mであれば多くのバッテリーを搭載するスペースがあり、高価になっても問題はない。モデルSはロードスターの加速性能を引き継ぎながら航続距離も十分で、新しいステータスカーを求めていた富裕層が争うように購入した。

モデルSにより、テスラは「進歩的で知的な富裕層の乗るプレミアムブランド」に進化したのである。モデルSは2015年にはアメリカでメルセデス・ベンツSクラスの販売台数を凌駕し、ラグジュリーカーセグメントのナンバーワンモデルとなった。

発表と同時に熱狂的な支持を集めたモデル3

このような名実ともにステータス性の高いプレミアムブランドとなったテスラから3万5000ドルというボリュームレンジの価格帯に投入されたのが2016年に発表されたモデル3である。発表と同時に熱狂的な支持を集め、2017年の発売前に予注が50万台に達した。

テスラは車を売るだけでなくEVの最大の欠点である充電環境を整備すべく高出力のスーパーチャージャー網も整備した。またオートパイロットをベータ版レベルで販売したり、ギガプレスを導入するなど、伝統的な自動車メーカが行わないような革新的な取り組みも行った。先進的なブランドイメージとBEVとしての利便性の両面で他社を圧倒的に凌駕する存在となったテスラは、BEVの世界で圧倒的なポジションを築くことに成功したのである。

300台のみ生産された最初期型の1953年型シボレーC1コルベット。2シーターコンバーチブルモデルとしてデビューした。

GMの創業時から続く類い希なるマーケティング戦略【歴史に見るブランドの本質 Vol.23】

自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

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著者プロフィール

山崎 明 近影

山崎 明

1960年、東京・新橋生まれ。1984年慶應義塾大学経済学部卒業、同年電通入社。1989年スイスIMD MBA修了。…