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サイドカー製作からコーチビルダー業へ
ジャガーはウィリアム・ライオンズとウィリアム・ウォームズレイが1922年、ブラックプールに「スワロー・サイドカー・カンパニー」を設立したのが始まりである。その後サイドカー製作だけでなく自動車のボディ修理も手がけるようになり、それをきっかけにコーチビルダー業もはじめた。
1927年、オースチン・セブンをベースとした四輪車の製作に乗り出す。ライオンズは当初から美しいデザインにこだわり、おしゃれなツートーン塗装なども用意し、それなりのヒット作となった。コーチビルディングが本業となったため会社名も「スワロー・コーチビルディング・カンパニー」に変更する。生産台数が増えるにつれ、オースチン社の近くに移転する必要が生じ、場所をコベントリーに移す。
1932年、スタンダード社のエンジンとシャーシをベースとしたSS1が登場する(SSはスタンダード・スワローの頭文字)。この美しいデザインを持つSS1はヒット作となるが、共同創設者のウォームズレイが会社を去ることになり、ライオンズは1934年に新会社、SSカーズを設立する。
磨きがかかる流麗なスタイリング
ライオンズはより高性能を目指し、エンジンの改良に着手した。サイドバルブからクロスフローOHVに変更、70馬力から102馬力へのパワーアップに成功した。この高性能エンジンを搭載した、シャーシも新設計の新型モデルを「SSジャガー」と名付けたのだ。SSジャガーは高性能にもかかわらず395ポンドという低価格で発売され、エレガントでスポーティなスタイリングもあって大ヒットとなる。このオープン2シーターモデルは最高速100mph(約160km/h)を達成しSSジャガー100と呼ばれた。
第二次世界大戦の勃発により生産は中断されるが、終戦を迎える1945年に社名をジャガー・カーズと改めた。基本的に戦前型のまま生産を開始するが、車名は「ジャガー」となった。但し、エンジンはまだスタンダード社のものがベースのままであった。
本格的な戦後モデルとして登場したのが1948年登場の2シータースポーツカーのXK120である。XK120はジャガー独自開発の6気筒DOHCを搭載した流麗な車で、120は最高速120mph(193km/h)に由来する高性能車である。XK120はモータースポーツにおいても大活躍し、純レーシングカーのCタイプへと発展していく。Cタイプは1954年にル・マン24時間レースに照準を合わせたモノコックボディのDタイプへと成長する。Dタイプは1955年から1957年までル・マンを3連勝し、ジャガーの名声は世界中に轟くこととなった。サルーンモデルにもこの高性能な6気筒エンジンを搭載し、代を追うごとに流麗なスタイリングにも磨きがかかっていき、ジャガーは世界を代表するスポーツサルーンとなっていった。
超高性能でありながら比較的低価格
1961年、Dタイプの設計をベースとしたスポーツカー、Eタイプが誕生する。Dタイプのポテンシャルを引き継いだ最高速240km/hを誇る超高性能でありながら、比較的低価格で販売される(同等の性能を持つアストンマーティンやフェラーリの半値程度だったといわれる)というジャガーの伝統が守られたこともあり、世界的なヒット作となる。
現在でも最も美しいスポーツカーの1台とされるEタイプこそ、現在に連なるジャガーのイメージを象徴する1台と言えよう。