荒川健【新・カーデザインここだけの話】三菱自動車ゴールデンエイジ物語 第一回 ランエボヒストリーの始祖、初代三菱ランサーはすごかった!
- 2021/04/02
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荒川 健

カーデザイナー荒川健氏が、デザイナーとして最初に入社したのが三菱自動車1970年代という激動の時代に、カーデザイナーとして社会にその一歩を踏み出した。現代では考えられないような様々な体験と出会いに、ちょっとワクワクしてみよう。
1975年に私は三菱自動車のデザイン部門に入社したのだが、セクションの正式名称は乗用車開発本部商品部意匠課で、そのころはまだ三菱ではデザインのことを意匠と称していた。
当時トヨタと三菱は大々的にデザイナーの“青田刈り”を行っていて大学3年生の夏休みに実施する夏季デザイン実習という2週間ほどのワークショップが行われ、そこで製作した作品の評価で70%は入社が決まってしまうという時代であった。
この間は事故やトラブルを避けるため会社の施設とその限られた周辺しか外出が許されず、全力で課題と向きあうのだ。
そして4年生になる直前の春休みに、メーカーから指名された学生だけが春季実習試験に呼ばれ、最終合格者が決まる。出される試験課題はだいたいが「20年後に必要とされるクルマ」みたいに漠然としたものが多いため、コンセプトのユニークさやアイデア提起のポイントの鋭さが問われる。そのため運悪く自分より面白い発想をするライバルがいたりすると、プレッシャーを感じてスケッチが委縮し前年の夏季実習で入社間違いなしと思われたライバルが入社を逃す波乱が有ったりもした。

こう書くと大変な難関みたいだが、私が卒業した多摩美術大学のプロダクトデザイン科は当時担当講師の先生が大のカーデザイン嫌いで、「今の自動車デザインはプロダクトデザインじゃない、商業デザインだ」とおっしゃっていて、そのためかどうかは定かではないが、同級性の中でクルマメーカーへの就職希望者は私の他に1~2名しかいなかった。その為学校の推薦が希望どおり受けられたのだ。
さらには多摩美が八王子に移転したばかりで、そこでの一期生だったため本当に休校が多く、また静物デッサンは授業で習った記憶は有るが、最新の製品レンダリング(完成予想図)を手ほどきする先生はいらっしゃらなかった。
そんなわけで空いた時間で世界に類を見ない専門書であるカースタイリング誌を参考書に独学でデザイン画の練習ができたのだ。私にとってはとてもラッキーだったのである。
3年生の終わりごろには大好きなデザインスケッチには自信が持てるようになり、デザイン実習では予想通りの手ごたえが得られ、この2つのイベントは宿泊費のほかに僅かだが日当がもらえたのが大いに嬉しく、今思い返しても青春の希望に満ちた楽しい思い出であった。
「カースタイリングは凄い!私の為にあるようなもの、こんな使える参考書を作ってくれてありがたいなー」と勝手なことを言いつつ感謝しながら当時私はクルマの情報を勉強し、そして毎日スケッチを描いていた。そんな私にとっては大恩人で、この本の初代編集長である藤本彰氏が昨年11月に亡くなられてしまった。
本当に残念だ。前回少しだけご紹介したフェラーリSP1の取材もご一緒させていただき、エンツォ・フェラーリに会った時の印象を生き生きとお話されていたことが思い出される。
改めてご冥福をお祈りします。
驚きの初代ランサー初体験!
三菱自動車に入社するとすぐに技術系、文系合わせて40名ほどの新入社員の半年間にわたる研修が始まった。オイルショックのため例年の半分以下の人数であった。著名な禅寺での座禅に始まり東京本社、京都のエンジン製作所、岡山県の水島工場と泊りがけで案内されるのである。
そんな旅での夕食会で慶応の経済か商学部出身か記憶が曖昧なのだが頭の良さそうなカッコよく日焼けしたクルマ好きのT君と話が合い親しくなった。
1週間ほどしてかなり打ち解けた話をするようになって、彼が三菱グループの銀行系のかなりなお偉いさんのご子息であることを打ち明けられ、びっくり仰天したのだ。
驚いたのは当時サファリラリーに参戦していたラリードライバー、ジョギンダ・シンの乗るレーシングマシンと同等というか、同じ仕様のラリー・ランサーを持っているというのだ!

ジョギンダ・シンは1970年代に活躍したラリードライバーで、インド出身でしかもマハラジャのご子息! 世界ラリー選手権WRCの中で最も過酷と言われたサファリラリーで三菱自動車に2度の総合優勝をもたらした方なのである。当時のラリーでヘルメット着用の習慣は無かったが、ターバンをヘルメット代わりに荒れ地を疾走する姿は「インド人もびっくり」という流行語も相まって子供たちに人気があった。
聞くところによると、当時の久保社長(第二次大戦の名機100式試偵の設計者)と親しかった御父上に頼み込んで、特別に同じ仕様のクルマをもう1台作ってもらったとのことなのだ。
なんでそんなことが出来たかというと、彼は国内の学生ラリー選手権で何度か優勝したことがあり、就職内定を機に会社がバックアップしてくれているとのことであった。


当時はラリー・アートなどの別会社は存在せず、サファリラリーの出場車両は全て車輛研究課が設計し試作課で造っていたのだ。
そんな話にあっけにとられていた私にさらなる追い打ちが・・・。
次週の京都エンジン研究所見学で京都に行った時、こっそり乗せてくれるというのだ!
聞くと、エンジンチューニングで彼のクルマが研究所にちょうど置いてあるとのこと。
それを聞いた日と、出発の前日はワクワクして眠れなかった。
その日のスケジュールが終わり研究所内の施設で行われた楽しい夕食会で、ビールを横目に見ながらT君からの連絡を心待ちにしていると、何やら外でただものではない排気音がし、しばらくするとホールの入口にT君が現れ手招きしているではないか!
特別に私の外出許可も手回し良く取っていてくれて、正門の守衛さんの不審そうな敬礼を横目にラリー・ランサーは京都の宵闇に独特の甲高い排気音とともにゆるやかに走り出したのであった。
次回はいよいよ本物の初代ラリーランサー・コンペティションモデルのビジュアルチェックからお伝えしますのでお楽しみに。

ランエボヒストリーの始祖 初代三菱ランサーは凄かった! 2
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