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今日は何の日?

■日産自動車の源流である快進社100周年記念展

快進社100周年記念展

2011(平成23)年6月28日、日産自動車は独立行政法人国立科学博物館にて、7月24日まで開催される「快進社創業100周年記念展 ダットサン・ニッサンの源流~受け継ぐパイオニア達の夢と志」に協賛した。展示会は、1911年7月に橋本増治郎氏が創業した快進社関連を中心に、日産へ受け継がれた「ダットサン」から現在までのクルマづくりの軌跡について紹介した。

快進社創業100周年記念展の概要

展示は、日本自動車殿堂と日本自動車殿堂主催で、会場は以下の6エリアに分けられ、特別シンポジウムなども開催された。

・エリア1:「現在~未来のクルマ」
日産の取り組む「つぎの100年」へのクルマ像

・エリア2:「快進社創業から日産の100年」
快進社~日産への100年の足跡を代表的なエンジンなどを交え、立体的に紹介

・エリア3:「橋本増治郎と快進社」

・エリア4:「日本の自動車と快進社」
上記3&4のエリアで、橋本増治郎の人物像、快進社の軌跡、同時代の国産車をとりまく状況など

・エリア5:「日本の電気自動車」
「機械遺産」に認定された「たま電気自動車」(1947年)を展示。日本の電気自動車の歴史および日産の電気自動車の歩み

1947年に東京電気自動車(プリンス自動車の前身)で生産された「たま自動車」。日本初の量産型電気自動車

・エリア6:「日産リーフがつくる新しい時代」
2010年に発売された量販電気自動車「日産リーフ」。このクルマがもたらす新しい暮らしを提案

2010年の初代リーフ

橋本増治郎が創立した快進社

日産の前身となる快進社を設立した橋本増治郎氏

快進社の創業者である橋本増治郎は、1975年(明治8年)に生まれ、東京高等工業学校(現:東京工業大学)機械科卒業後、農商務省海外実業練習生として渡米し、マッキントッシュ社の蒸気機関製造工場で働いた。ここで鋳造技術を学んだり、米国のモータリゼーションを目の当たりにして、日本でも自動車工業発展の必要性を確信することになった。

鮎川義介氏の米軍留学時代

帰国後、1907年に33歳で九州炭鉱汽船に技師として勤務した後に、1911年7月に「快進社」を設立。出資者は田(D)健次郎と竹内(T)明太郎に加え、同郷で通信省技師からヒーリング商会会長となっていた青山(A)禄郎が出資者となった。この3名のイニシャルが、後のダットサン(DATのSON→DATSUN)の名前の由来となった。

「快進社」を設立時の出資者、左から田 健次郎氏、青山禄郎氏、竹内明太郎氏
快進社の工場

1912年に英国スイフト社のシャシーを使った試作1号車「神速号(スイフト号)」を製作、1914年には日本初の純国車と位置付けられる「DAT(ダット・脱兎)自動車」を製作して、東京大正博覧会に出品。1918年には、現在の豊島区東長崎に600坪の工場を建設し、20名以上の工員をかかえ数々の「ダット○○型」自動車の製造を続けたが、1923年の関東大震災などの影響で経営が厳しくなり、1926年に大阪の「実用自動車製造株式会社」と合併し「ダット自動車製造株式会社」に改称された。

その後、鮎川義介によって日産自動車へと引き継がれた

日産自動車の創始者 鮎川義介氏

ダット自動車製造株式会社は、1931年に鮎川義介氏が設立した「戸畑鋳物」が吸収。鮎川義介は、1880年(明治13年)に生まれ、東京大学機械科卒業後に渡米して鋳物技術や生産管理を修得し、帰国後1910年に戸畑鋳物を立ち上げた。さらに1928年には「日本産業」を設立し、鉱業や機械、造船など多くの事業を展開した。戸畑鋳物の傘下になったダット自動車製造は、1932年に495ccの小型乗用車「ダットサン(DATSUN)10型」の生産を開始。そして1933年12月、鮎川義介は本格的な自動車製造に向けて「自動車製造株式会社」を設立、翌1934年に「日産自動車」に改称した。

戸畑鋳物工場内部
1933年に製造された「ダットサン12型フェートン」
英国オースチン社と技術提携して生産した「日産オースチンA50型」

大戦後、日産は英国オースチン社と技術提携しノックダウンを開始。オースチンの生産技術などを吸収しながら本格的に国産自動車の開発に着手し、1959年8月に「ダットサン・ブルーバード」、1960年4月にはトヨタ「クラウン」に対抗する高級セダン「セドリック」、1966年4月に「ダットサン・サニー」を世に送り出した。

ダットサン ブルーバード 1200 310型
セドリック カスタム:1960年に発売された初代セドリック。画像は翌1961年に発売された1.9Lエンジンを積むG30型セドリック カスタム
ダットサン・サニー1000 デラックス B10型

一方で1947年には、戦前の立川飛行機から派生した東京電気自動車(後のプリンス自動車)が開発した電気自動車「たま電気自動車」が発売され、1952年にプリンス自動車に改称してからは1957年4月に初代「スカイライン」、1959年1月に初代「グロリア」を発売した。

1957年4月に富士精密工業(プリンス自動車の前身)から発売された初代「スカイライン」
BLSIP型 初代プリンスグロリア

しかし、1966年8月1日に日産自動車がプリンス自動車を吸収合併し、新たな日産自動車がスタートした。同時に、日本の自動車黎明期の名車を作り出した自動車メーカーのプリンス自動車が幕を下ろした日でもあった。

1966年4月30日の合併調印式での様子。日産自動車勝又克二社長(左)とプリンス自動車小川秀彦社長

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快進社は、日産とダットサンブランドの源流であると同時に、日本の自動車産業の原点と位置付けられる。そこには、快進社を立ち上げ純国産自動車メーカーを作り上げた橋本増治郎と、その快進社を成長させ日産へ統合した鮎川義介という2人の巨人の存在があったのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。

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