1960年代のモータリゼーションと加熱したレース人気
日本経済は1960年から1970年にかけて世界に類例を見ない高度経済成長期を迎え、本格的なモータリゼーションが起こった。1966年には日産自動車「サニー」とトヨタ「カローラ」がデビューして“マイカー元年”と呼ばれ、自動車の普及が一気に進んだ。
自動車が身近なものとなると、若者は大衆車でなく高性能なクルマに興味を持ち、性能を極限まで引き出して競うレースに夢中となった。そうなると、レースは各メーカーの技術力をアピールする絶好の機会となり、メーカーの技術力競争も激化し、レースは各メーカーの威信をかけた戦いの場となった。


1962年には、日本初の国際レーシングコースとして鈴鹿サーキットが完成。翌1963年には、20万人以上の観客を集めた第1回日本グランプリが開催されて、いよいよ日本でも本格的なレースが幕開けた。

そして、翌1964年の第2回日本グランプリでは、圧倒的な性能を持つ「ポルシェ904」に、プリンス自動車の「スカイラインGT」が必死に追いすがり、7周目のヘアピンでポルシェ904を抜き去り、一時的だが先頭に立つという快挙をやってのけた。国産車が最高峰のポルシェを抜いたことに観客は熱狂し、ここに“スカG伝説”が誕生した。

このスカイラインGTの流れを汲んだ日産「スカイラインGT-R」が1970年代初頭からレース界を席巻、それに対抗して登場したのが、ロータリー車のマツダ「サバンナ」だったのだ。

レースで勝つために生まれたスカイライン(ハコスカ)2000GT-R


伝説の走りを見せたスカイラインGTは、レース参戦のホモロゲーションのために急遽仕立てられた100台の限定販売だったが、さらなる販売を切望したファンのために、1965年2月に「スカイラン2000GT-B」が追加された。ちなみに、スカイライン2000GTを開発したのはプリンス自動車だったが、プリンス自動車は1966年8月に日産自動車に吸収合併されたため、以降日産スカイラインとなった。

1968年8月に3代目「スカイライン(ハコスカ)」にモデルチェンジ、そして1969年2月にはスカイライン2000GT-Bをパワーアップさせた高性能モデル「スカイラインGT-R(PGC10型)」をデビューさせた。最大の注目であるパワートレーンは、プロトタイプレーシングカー「R380」搭載のソレックス3連装キャブレター装着の2.0L 直6 DOHC(S20型)エンジンと、5速MTの組み合わせ。最高出力160ps/最大トルク18.0kgmを発揮し、最高速度は200km/hを誇った。

ハイパワーに対応して足回りは強化され、ステアリングギア比もクイックに変更された。また伝統のサーフィンラインはワイドタイヤを履くために廃止され、ホイールアーチが大きくえぐられた。さらに、レースに不要なヒーターやラジオなどはオプション設定とされた。

車両価格は、モノグレードで150万円。当時の大卒初任給は3.3万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で1045万円に相当する。ちなみに、1968年発売の「スカイライン2000GT」の価格は86万円であり、GT-Rがいかに高額車かが分かる。
スカイラインGT-Rは、その使命に従ってレースへ参戦。同年5月3日に開催されたデビュー戦のJAFグランプリレースで、辛勝ではあったが勝利を収めると、ここから他を圧倒する破竹の連勝が始まった。
ロータリーの圧倒的な動力性能で走り屋を夢中にさせたサバンナ

世界初のロータリーエンジン量産モデルは、1967年5月にデビューしたマツダの「コスモスポーツ」である。コスモスポーツは、最高出力110ps/最大トルク13.3kgmを発揮する10A型(491cc×2ローター)ロータリーエンジンを搭載した圧倒的な動力性能を誇った2シーターのスポーツカーだった。





マツダは、ここからロータリー車のラインナップ攻勢をかけた。第2弾「ファミリア・ロータリークーペ(1968年~)」、第3弾「ルーチェ・ロータリー(1969年~)」、第4弾「カペラ(1970年~)」、そして1971年9月にデビューした第5弾が高性能なロータリー車のなかでも、特に走りを追求した「サバンナ」だ。

サバンナは、2ドアクーペと4ドアセダンのボディに、4灯式ヘッドランプを持つ迫力あるフロントマスクとロングノーズ&ショートデッキの躍動感あふれるフォルムを採用。比較的小ぶりなボディに、10A型ロータリーエンジンを縦置きに搭載し、最高出力105ps/最大トルク13.7kgmを発揮した。
車両重量が875kgと軽量であったため、最高速度は180km/h、ゼロヨン加速は16.4秒を記録。さらに翌1972年には、トップグレード「サバンナGT」がラインナップに加わった。サバンナGTには、排気量を拡大した12A型ロータリーが搭載され、最高出力120ps/最大トルク16.0kgmを発揮、最高速度は190km/hを超え、多くの走り屋を虜にした。

サバンナGTの車両価格は79.5万円。当時の大卒の初任給は約5.5万円(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値で332万円に相当する。

サバンナGTは、発売前からその走りをアピールするために、レース用に最高出力230psにハイチューニングした「サバンナRX-3(輸出名)」の名でレースに参戦し、その実力を遺憾なく発揮した。
スカイライン神話に終止符を打ったサバンナ


「スカイラインGT-R」と「サバンナRX-3」の運命の戦いは、1971年12月の富士ツーリストトロフィー500マイルレースで起こった。サバンナは、ロータリーの特別ルールによってスカイラインGT-Rと同じクラスに参戦、わずか1000㎏弱という軽量ボディを活かして常勝GT-R軍団に勝負を挑んだ。

ここまで、スカイラインGT-Rは前人未到のレース49連勝で無敵の強さを誇っており、このレースは通算50連勝がかかっていた。しかし、サバンナRX-3の圧倒的な走りで1-3位を独占、スカイラインGT-Rの50連勝を阻止して総合優勝を飾ったのだ。

サバンナRX-3は、翌1972年5月の日本グランプリのツーリングレースでもスカイラインGT-Rを下して総合優勝。以降もサバンナRX-3は、1973年、1975年、1976年のグランプリ4連勝(1974年は中止)の偉業を成し遂げ、通算100勝の金字塔を打ち立てた。
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当時、サバンナRX-3のレースでの無敵ぶりは、ロータリー時代の到来を告げるに十分だった。市販車サバンナも、その走りに魅せられた若者から熱い支持を受け、ややヤンチャな若者が好むクルマの代名詞にもなった。しかし、1970年代中盤にはオイルショックや排ガス規制強化が直撃、特にその両面で不利だったロータリー車は、改良に膨大なリソースが必要となり、レース活動は縮小せざるを得なくなった。






