OPTION GT-Rスピードワゴン
連載期間:1995年12月~1997年5月

RV&ワゴン車ブームに沸いた90年代中期。「キャンプだけじゃなく、最高速もサーキットも楽しみたいだろ」という発想から、Daiが構想を練り始めた。ベースとして狙っていたのは、登場間もないR33 GT-Rだった。
そんな矢先、トライアルの牧原さんから「納車されたばかりのRが追突されてしまった」という連絡が入る。これをきっかけに、「じゃあGT-Rワゴン化のベースに使わせてほしい!」と話は一気に進展し、プロジェクトは即始動した。

ボディメイクはレースカー製作で知られるシロマ、エンジンはHKS、足まわりはレイズ、オーディオはケンウッド、4座の特注シートはレカロと、各分野のスペシャリストを巻き込みながら製作が進められていく。

完成したマシンは、最高速304.8km/h、ゼロヨン11秒89、筑波サーキット1分04秒452という驚異的なパフォーマンスを実現。ストリートからサーキットまでをカバーする、ハイレベルな1台へと仕上げられた。
そして1997年11月、日産はステージアベースの「オーテック260RS」をリリース。GT-Rの血統を持つワゴンという点で共通するが、このスピードワゴンの存在を知っていたかどうかは定かではない。
OPTION/BLITZ R348
連載期間:1999年3月~1999年10月

登場したばかりのBNR34をベースに、OPTとブリッツが手を組み、「ストリート最高速度記録」に挑戦。舞台はドイツ・アウトバーンだ。
車名「R348」は、ゲンバラポルシェが記録していた347km/hを上回る、348km/h到達を狙って名付けられている。

目標達成に必要とされた出力は770ps以上。そこで採用されたのが、当時ブリッツで最大風量を誇ったK5-850Rタービンだ。アタック用に仕様変更を施し、ブースト圧1.9キロで800psオーバーを発揮。最大ブーストは2.4キロまで許容するセッティングとされた。
初日と2日目はセットアップ走行に費やされ、いよいよ最終日。空燃比や点火時期を煮詰め、ブースト圧も2.4キロにセット。長い直線に入り、全開アタックへと突入する。
しかしここで、パワステベルトが切れてしまい、ステアリングは一気に重ステ状態に。それでもアクセルを踏み続けるが、今度は追い越し車線に一般車が進入してきて万事休す。アタックは中断となった。

最終的な記録は343.35km/h。目標にはわずかに届かなかったものの、市販パーツのみで構成された完全ストリート仕様としては、十分すぎる結果と言える。
OPTION STREAM Z PROJECT
連載期間:2003年9月~2006年9月

プロジェクトの舞台となるのは、アメリカ・シルバーステイツ。全長144kmの区間をどれだけ速く走り切れるかで勝敗が決まる公道レースで、最高速度制限や平均速度などに応じて5つのクラスが設定されている。

その中で例外的に存在するのが、速度無制限の特別枠「アンリミテッド」だ。“速いヤツがすべて”という過酷なクラスであり、コースサイドに立つ無数の十字架は、この地で命を落としたドライバーたちの記録でもある。
アンリミテッドクラスのレコードは、直線だけでなくワインディング区間も含まれるコースにもかかわらず、アベレージ334.4km/hという驚異的な数字。Daiはこの舞台に、自身の最高速人生を懸けることを決意する。
2003年10月、発売間もないZ33をベースとしたプロジェクトが始動。マシン製作はハードチューンで実績を持つJUNオートメカニックが担当し、最高出力1000ps級ユニットを搭載する「ストリームZ」が誕生した。

満を持してシルバーステイツに乗り込んだ初陣。スタートから84秒後、334.69km/hに到達した瞬間、リヤタイヤがバーストする。
どうにかマシンをコントロールし、250km/hまで減速したものの、挙動を抑えきれずにコースアウト。ストリームZはそのまま10回転半にも及ぶ激しいクラッシュを喫し、マシンは完全に息絶えてしまった。

2004年は2号機でリベンジを試みる。しかし、「5速7000rpmで360km/hまで引っ張ってから6速に入れる」というJUN小山氏の説明を聞き違えてしまい、パワーバンド手前の5速5000rpm以下で6速へシフト。その結果、6速4500rpm付近(約280km/h)での巡航を強いられることになった。

本来であれば記録を伸ばせる直線区間で速度を乗せきれなかったことは大きな痛手だった。さらに、ゴール直前で再びタイヤがバースト。万全とは言えない内容のままフィニッシュとなった。最終的な最高速は305.32km/hで、クラス順位は3位を記録した。

リヤタイヤへの負担を減らすため、リヤサスはマルチリンクからJUN特製ストラット式へ変更。しかし本番前日の1マイルアタックで、ゴール地点を勘違いして再びアクセルを踏み込んでしまい、コーナーに気付かずコースアウト。296.58km/hをマークするも、またしてもクラッシュという形で、本戦に進むことなく終わってしまった。

最終年となる2006年は、5月と9月の2レースにエントリー。まず5月、スタートから11分後の57km地点で、ここまでのアベレージスピードは297.9km/h、最高速度は338.75km/hと絶好調の走りを見せていた。しかし、クランクプーリーの脱落によってエンジンブロー。
そして9月。最後となるシルバーステイツでは、1マイルアタック中に痛恨のエンジンブローを喫し、ここにプロジェクトの幕が閉じられた。
