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かのジウジアーロ氏も絶賛 マツダ ユーノス500デザイン秘話 第30回・東京モーターショー (1993年)  【東京モーターショーに見るカーデザインの軌跡】

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今回は1992年3月に発売され、この第30回東京モーターショーにも展示されたユーノス500をご紹介したい。私が関わったモデルが続いて恐縮なのだが、編集責任者から「この際一気に開発秘話を交えやってみては?」というお誘いがあり、アドレナリンがまだくすぶっているうちに書くことにした。
ちなみに1993年1月、カースタイリング誌と株式会社トゥールズが主催する伝統あるカーデザインアワードでユーノス500は史上初の2部門同時受賞という栄誉に輝き、またカーデザイン界の巨匠ジウジアーロ氏にも、ドイツの自動車雑誌の特集記事で高く評価していただいた。

マツダ・イノベーション計画

1988年、収益率の高いプレミアムブランドを軸とした多チャンネル化を図り、一気に上位メーカーの仲間入りを果たそうというM I(マツダ・イノベーション)計画がスタートした。デザインも“10年基準”という品質向上計画の一環として、世界レベルのカタチを目指そうということで数名のデザイナーが招聘された。前回ご紹介したイギリス人の元ポルシェチーフデザイナーや同じくポルシェのベテランモデラ―とともに私もヘッドハントされた一人であった。

このとき中心的な役割を果たしたのが福田本部長である。数年間アメリカのR&D勤務を経験し、世界にプレミアムカーとして認めてもらうにはニッポン独自のインパクトが必要と考えた。そして日本の伝統文化に着目し中でも最も町民文化が輝いた室町時代に的を絞ったのである。そして福田氏の指揮のもとプレミアムチャンネル担当の私を含め数名のデザイン主査が協力して創り上げたのが「ときめきのデザイン」というデザインフィロソフィーであった。
1年ほどかけて完成させ、このとき製作した音声入りのプロモーションスライドは感動的な内容で、ユーノス500が経営会議で大絶賛のうちに承認されるのに大きく貢献したのである。

三菱自動車から移籍して私が一番驚いたのはデザイントップである福田氏の決断の速さであった。一言でいうと思考の筋道が明快で竹を割ったようにスパッと判断できる方なのである。
或る時ポケットマネーで一粒500円!のプレミアムな紀州の梅干しを取り寄せ、突然ミーティングを開き7名ほどいたデザイン主査に食べさせ感想を言わせるのだ。つまらない食レポには「平凡じゃねー。もっと上手に言わんと。」と激を飛ばし、自らいかに凄いかの講釈を始めるのであった。福田さんはプレミアムとは何かを考えさせたかったのである。
また頻繁に行なわれたクレイモデルのデザインチェックでも的確な審美眼をお持ちで、どこがダメかを三波春夫そっくりの良く通る声でビシバシと指摘、したがって他部門のマネージャ―の中にはワンマンだという方もいたが、私はこの開発ラッシュを切り抜けるには最適な方だと尊敬したのであった。

プレッソよりさらにクラシカルでエレガントな方向性に

ユーノス500は私が担当する前のファーストモデルが存在していたが、商品本部のフロア計画がストップしたためほとんど手つかずのまま放置されていた。1988年末に新たなクロノスという一回り大きな3ナンバーとフロアを共通化することに決まったのを機に、あらたに「10年後も色あせない永続的デザイン」という目標を掲げ1989年1月からスタートしたのである。

今度もスピード決着が求められた。なぜならスケジュールが半年も遅れていたからである。そこで私はプレッソと同じく、温故知新で行くのが今の流れに最適ではないかと判断した。

プレミアムカーであることや日本の伝統文化からインスピレーションを得ることなどからプレッソの造形テーマよりさらにクラシカルエレガンス的なスタイルを追求してもよいのではないかと考え、カーデザインの歴史に残る魅力的なスタイリングエッセンスを復活させ現代風に表現してみることにしたのである。

ユーノス500 / Xedos 6 のキースケッチ。(1989年)
ユーノス500 / Xedos 6のインテリア、オリジナルレンダリング。

そして何枚かアイデアスケッチを描く中で徐々にイメージが固まり、デザインフィロソフィーに登場する天翔ける天馬の躍動感の表現に、かつての愛車、美しい1966年型ジャガーSタイプ(初代)のフロントグリルから始まりリヤエンドに抜けるエレガントなラインを取り入れたラフなキースケッチが出来上がった。コンセプトはこうした流れから自然に“永続的なデザイン”に落ち着き、キーワードも「天馬」で行くことにした。

このときもプレッソの担当デザイナーとして才能を発揮した岡崎純氏が我がチームで活躍したのだが、早速キースケッチを彼に見せ簡単に説明すると、「なるほど、行けそうですね」とすぐに理解してくれた。彼の最大の武器は素直な感受性と柔軟性の両方を持ち合わせている点であった。したがってユーノス500もここからが早かった。

岡崎氏のスケッチをもとに生まれた4分の1モデル。 エレガントさが極まる上、リヤドアやリヤウインドウ周りのアイデアも極めて個性的。

そのころのスケッチは残念ながら残っていないが、1989年4月に岡崎氏が担当しデザイン承認を得た4分の1スケールモデルの写真を見ていただきたい。
私の描いたキースケッチを発展させフロントグリルから始まるボンネットラインがエレガントで、今につながるマツダのアートともいえる官能的な面造形が垣間見えるのがお分かりいただけると思う。またクレイモデラーの技能レベルの高さがあってこそのスタイリングであった。

原寸大モデルで力強さと威厳を表現

1989年5月からはいよいよプロダクションモデルがスタートし最重要機種ということもあり河岡部長の判断で新型コスモの担当だったエースの小泉氏がユーノス500の担当デザイナーに選ばれた。
しかしスケールモデルと違い原寸大になるとボンネットが平板で、サイドの引き締まった面との対比がアンバランスであった。
そこでボンネットからフロントウィンドウにかけて中心線を盛り上げるという、現代のカーデザインでは型破りのアイデアを出したのだが、これは先ほど述べた1966年型ジャガーSタイプが持っている格調高い雰囲気の源であるボンネット中心部を高く盛り上げたデザインの特徴を取り入れ、力強さと威厳を表現しようという狙いからだった。

フロントウィンドウの曲率が変わってしまい調整に手間取ったが、クレイモデルは見違えるように緊張感が増しエレガントでありながら狙いどおりの格調あるスタイルに仕上がった。さらには、デザインフィロソフィーとの整合性にも力を入れ“天翔ける天馬”の俊敏な体つきを何とか造形表現しようという、まさに哲学的ともいえる難解な領域にチャレンジしたのであった。そうした努力が冒頭で述べた評価結果に繋がったのかもしれない。

もう一つ重要なこととして、アルミホイールのデザインにも力を入れたこともお話しておきたい。実は新米デザイナーのころからアイデアスケッチを描くとき、ホイールデザインによって印象が大きく変わるため拘りをもって時間を惜しまず描いていた。
したがってプレッソや水素ロータリーHR-Xもホイールデザイン担当のベテランデザイナーと気が合い、コミュニケーションを密にしたコラボレーションの結果よいデザインが出来たのである。海外他社と比較しても、私が担当した機種のホイールデザインは個性があり自慢できる出来だと今も思っている。

エクステリアデザインについてはお伝え出来たが、インテリアデザインはいずれまとめてお話することにする。インテリアはシート、ステアリング、ドアトリム&インパネと専門のデザイナーが分れるため一度には語りつくせないのだ。

今回も高いスキルを持った優秀なスタッフに恵まれたおかげで、ユーノス500もスケジュールを挽回しほぼ予定通り1990年1月だったと記憶しているがマスターモデルが完成、生産工程に入ることが出来たのである。

クラシカルエレガンスを湛えたエクステリア。写真はXedos6。
コンパクトなボディながら、優美さを誇るインテリア。

世界基準の品質向上を実施 しかし心残りも……

しかし話はここで終わらないのだ。
1990年9月頃試作車が完成し、デザイン展示室に運ばれたクルマを見て愕然としたのである。あの最も大切なボンネットの微妙な凹凸がぼやけていたのだ。
駿馬の顔を期待していた私は、カビバラ風な寝ぼけた表情にがっかりした。
これは試作品だからで、防府工場にある最新鋭の1000tプレス機で打ち出せば改善できるとボディ設計担当者に慰められた。
しかし不安だった私は、以前三菱自動車に入社したての頃、初代ミラージュの金型製作のベテランが大きなボディサイドのパーツにプレスラインが無い場合は、あえてプレスの戻りを予測して目視で2㎜ほど金型を深く修正するという話をしたところ、「昔と今は違います」と一蹴された。
確かに1990年頃はすでにコンピュータ制御が進み、またそんな特殊技能を持ったベテラン職人もいなくなっていたのである。

その後、商品本部と設計チームは性能目標に掲げていたBMW3シリーズを凌駕するという項目達成のため、ヨーロッパで試作車による異例の長期テストを何度も行い足回りや騒音などの徹底した品質向上プログラムを実施、プレミアムカーとしての第一歩を踏み出したのであった。

しかし1992年に発売された量産初号車のボンネットは多少改善されたものの、やはり1991年の東京モーターショーに参考出品したFRP製ハードモデルのシャープさは半減していた。
1000tプレスでさえ戻りが発生するならボンネットの谷の部分を少し深めに削っておけばよかったと後悔したが、その後こんなシビアな状況は二度と訪れなかった。
大成功した機種ではあったが、こんな大きい心残りな個所も存在したのである。

1993年、カーデザイン大賞受賞時のワンショット。史上初のゴールデンマーカー 賞(量産部門デザイン賞)とゴールデンクレイ 賞(モデリング賞)のダブル受賞を実現。左からチーフモデラーの相川正志氏、安藤純一氏(ブーメラン)、荒川健氏、小泉巌氏、藤本彰氏(カースタイリング初代編集長)。安藤氏は2015年に亡くなられ、藤本氏も先日他界されてしまった。心より冥福をお祈りする。
ユーノス500
ユーノス500
Xedos 6
Xedos 6

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