1970年式ダイハツ・コンパーノ・ベルリーナ1000スーパーデラックス。

「富士山オールドカーフェスタ2026」の会場を歩いていると、只者ではムードがない漂うダイハツ・コンパーノが佇んでいた。良く見ればナンバープレートは「静岡5」のシングルナンバー。これはもしや!と近くにいたオーナーに声をかけてみれば、やはり新車で買われた1オーナー車だった。もちろんその場で取材をお願いすることにした。

白いマッドガードはオーナーが自作されたもの。

コンパーノのオーナーである山城正孝さんは現在75歳。実に19歳の時にコンパーノを買ったことになる。というのもご実家ではダイハツ車を乗り継いできたため、免許を取得した山城さんも自然とダイハツ車に親しむこととなる。そんなある時、ダイハツの総合カタログを見ていて見つけたのがコンパーノだったそうだ。

社外品のハイマウントストップランプを追加している。

コンパーノはダイハツが初めて手がけた小型車で、それまでのオート3輪や軽自動車メーカーからの脱却を図るべく開発された。そのためデザインはイタリアのヴィニャーレに委託したもので、流麗なイタリアンスタイルを採用している。だが乗用車をいきなり発売するにはリスクが高いため、1963年に発売された当初はライトバンの商用車からスタートしている。

ウインカーとバックランプが独立して装備されている。

乗用車であるワゴンはバンに遅れること2ヶ月後に追加され、さらに同年秋にセダンであるベルリーナが追加された。そのためか、「コンパーノ」と呼ぶより「ベルリーナ」と呼ばれることが当時は多かった。さらに65年には800ccだった排気量を1リッターに拡大してツインキャブレターを装備するオープンモデル、「スパイダー」が追加されている。

FE型1リッターエンジンはオーバーホールしていないが絶好調とのこと。

スパイダーと同じスポーティなエンジンを装備する「ベルリーナ1000GT」も加わりコンパーノは順調に販売台数を増やしていった。だが1967年にトヨタと業務提携したことで軽自動車専業メーカーへと転換することとなり、コンパーノは後継車を開発することなく70年で生産を終了してしまう。実に山城さんが注文した時は受注生産に切り替わった時期であり、コンパーノを買うギリギリのタイミングだった。

端正なデザインのインテリア。ナルディタイプのステアリングは新車時に注文したもの。

そのためだろう、新車を注文する時はディーラーでも融通を効かせてくれた。注文したのは1000スーパーデラックスなのだが、スパイダーやGTと同じナルディタイプのステアリングホイールとフロアシフトを選ぶことができた。当時2万円アップで対応してくれたそうで、他にも運転席にだけ装備されるヘッドレストを助手席にも装備してもらうことができた。当時の価格で57.5万円だったという。

タコメーターがない代わりに速度計内にギアの守備範囲が記されている。

購入時から長く乗るつもりだったそうで、コンパーノは長らく車庫で保管され続けている。そのためだろう、ルーフの塗装とメッキパーツは新車時からそのままだそうで、全塗装することなく維持されてきた。さぞ日頃からメンテナンスや洗車に気を配られてきたのだろうと思いきや「この30年ほど洗車したことがありません」と驚愕的な事実を教えていただいた。

8トラック式カセットステレオは後から取り付けたもの。

なんでも濡れた雑巾で拭くだけだそうで、雨の日に乗らないから汚れることもないようだ。また月に1度シュアラスターのワックスをかけることを心がけている。さらに凄いのは車庫に収めてからリヤだけジャッキアップして保管しているのだとか。リヤがリーフスプリングのため、そのまま保管していると経年劣化で車高が下がってしまうことを予防しているのだとか。さらに保管時はサイドブレーキをかけず輪止めで駐車している。

ウインドーレギュレーターのつまみ部分はハンドル側の抉れた部分に格納できる。

今でも普通に高速道路でも走らせているという山城さんだが、エンジンはオーバーホールしていない。定期的なオイル交換を励行し続けてきたためで、みればシリンダーにはオイル汚れ一つない。日頃から手が入る部分は汚れを除去しているそうで、コンパーノに注ぐ愛情の深さを物語っている。展示されたコンパーノには、面白い木の板が立てかけられていた。それが下の写真で、クルマだけでなく戦闘機である零戦のものまであるプレートが装着されているのだ。以前は解体業者が数多くあり、プレートだけ外して譲ってもらうことを趣味にしてきた。コンパーノ同様にプレートたちも山城さんの遊び心を満たしてくれるのだろう。

趣味で集めてきたプレートをクルマの横に立てかけて展示されていた。