1970年式日産スカイライン2000GT。

埼玉県秩父市にある「ちちぶ花見の里」で開催されたイベントに旧車が展示されたことを続けてお伝えしている。旧車の展示は地元の旧車オーナーが掛け声を上げて主催者に掛け合い、埼玉県で旧車イベントを複数手掛ける日本旧軽車会のバックアップを得て実現したもの。広く展示車両を募集してはいないため、仲間内でのミーティングに近いものがあったが、秩父という土地柄か珍しい車両も多かった。

白ガラスやリヤフェンダーカットなど外観をGT-R仕様にしている。

日ごろ目にする機会の少ない旧車を見て回ると、どうしても定番車種にも目が向く。特に今回はノーマル車が多かった印象なので、走りに振ったカスタム車両が逆に新鮮だった。国産旧車の王道であるハコスカは今回ポツンと1台だけ展示されていて、普段の旧車イベントなら食傷気味な車種ではあるのだが少々気になりオーナーに声をかけることにした。

フロントブレーキのキャリパーを他車から流用して強化。

ハコスカのオーナーは64歳になる牧野吉剛さん。「多摩59」と古いナンバーが付いているので所有歴が長いのだろうと思ったが、なんと昭和56年というから1981年に入手されたそうだ。それから45年間も維持し続けているというから、相当なハコスカファンなのだろう。

ルームミラーをレースオプションだったワイドミラーにしている。

45年前というから、その当時牧野さんは19歳だったはず。昔からハコスカが好きだったそうで当時は相場が底ともいえる時代。このハコスカを選んだ理由も「安かったから」というもので、19歳の若者でも十分に狙える相場だった。ちなみに80年代後半、筆者はロータス・ヨーロッパを探していて付き合いのあったメカニックの人に付き添ってもらい何軒か回っていた。するとある時、メカニックの人が積載車にハコスカを積んで現れた。

エンジンは直列6気筒SOHCのL型。タペットカバーをメッキにしている。

その人自身930ポルシェ911に乗っていたくらいのクルマ好きだから、当時人気の低かったハコスカが妙に思えた。さらに筆者が小学校低学年の頃、実家のクルマがハコスカセダンのGT-Xだったので懐かしくなって「どうしてまた?」と聞くと「解体屋から引っ張ってきて整備すれば100万円くらいで売れるんだよ」と教えてもらった。牧野さんが手に入れたのはそれよりも前のことなので、さらにリーズナブルな買い物だったと容易に想像できる。

3連装に変更したキャブレターはよりレーシーなウエーバーを選んでいる。

相場が底にある車種の場合、大抵は乗りっぱなしでロクなメンテナンスを受けていない個体がほとんど。憧れのハコスカに乗り出した牧野さんも程度には満足できなかったのだろう。手に入れてから5年後になる40年ほど前に思い切ってレストアをされることにした。内外装はもとよりエンジン・ミッションや足回りをフル整備することにされたのだ。

ハードトップとはデザインが異なるセダンのインテリア。

おそらくその時に現在のようなGT-R仕様にされたのだろう。相場が底だったとはいえGT-Rは別格で、80年代でもしっかりしたプライスが付いていた。だからハコスカを手に入れた人の多くがGT-R仕様へカスタムするのが、ある意味定番でもあった。そして時代は令和になったが、この潮流は今も変わっていない。

1万rpmと240km/hスケールのメーターはGT-R用を移植。

ただ当時と今で全く違うのがパーツの流通具合と相場だ。80年代初頭だとまだまだ日産から補修部品が数多く供給されていたので、GT-R仕様を作るにも新品パーツが普通に使えた。今だと当然、新品部品など望むべくもなく一部がNISMOから再販されるようになったが、多くは法外な価格が付けられているデッドストックに頼るしかない。中古パーツにしても高価で、80年代のような気軽さでGT-R仕様を作るのは難しくなった。

純正ステレオはないもののカーナビを装着している。

一度徹底的にメンテナンスしているのでトラブルは長らく経験しなかったが、最近は「普通に修理してます」とのこと。やはりレストアして40年も経てば傷みは出てくるもので「振り出しに戻った」と語っている。45年乗り続け再び修理を繰り返すようになると手放すことも考えられそうだが、牧野さんにその素振りはない。何せ助手席に奥様を乗せて都内から参加しているくらいだから、ご夫婦ともにハコスカが大好きなのだろう。

フロントシートはGT-R純正のフルバケットタイプにしている。