ホンダ・NSR250Rとは

NSR250Rは、ホンダが1986年に発売した249ccの2ストローク・スーパースポーツである。
背景にあったのが、ロードレース世界GP250ccクラスを戦うワークスマシン「NSR250」。初代NSR250Rの発売前年の1985年に、Honda NSを駆るフレディー・スペンサー選手によりチャンピオンを獲得、その後のサーキットでもNSRは1987年〜1989年と3年連続でメーカータイトルを獲得しており、市販車にもレース活動から得られた技術が投入された。
エンジンは水冷2ストローク90度V型2気筒。初代は最高出力45PSを発揮し、軽量なアルミフレームやフルフェアリングなど、ロードスポーツとして高い運動性能を追求した構成となっていた。
その後のモデルチェンジでは、エンジン制御やフレーム、リアサスペンションなどを継続的に改良。レースで得た技術を市販車へ取り込みながら、エンジン単体にとどまらず車体全体の性能を高めていったこともNSR250Rの特徴といえる。
なお、「NSR」の名称は市販車のNSR250Rだけを指すものではない。レース用のNSR250やNSR500、市販車では、NSR125FやNSR50 / NSR80などにも用いられた。
NSR250Rの変遷
1986年|初代NSR250R(MC16)が登場

初代NSR250Rは1986年10月に発売された。
新設計の水冷2ストローク90度V型2気筒、249ccエンジンを搭載し、最高出力は45PS。乾燥重量は125kgに抑えられ、ホンダは当時、250ccクラスの2ストローク・スーパースポーツで最軽量として訴求していた。
エンジンには一軸クランクシャフトを採用し、コンピューター制御の可変排気孔バルブ機構なども導入。フレームにはアルミ素材を使い、フルフェアリングと大型リアカウルによる空力性能にも力が注がれた。
販売計画は国内年間1万5,000台。価格は55万9,000円だった。
ワークスマシンNSR250から得た技術を250ccの市販スポーツへ落とし込むという、その後のNSR250Rの方向性を示した初代モデルである。
1988年|2代目NSR250R(MC18)へ進化

1988年型では型式がMC18へ変わり、エンジン制御が大きく進化した。
象徴的なのが、市販二輪車として世界初となるコンピューター制御の「PGMキャブレター」。エンジン回転数やスロットル操作などの情報をもとにエアジェットを制御し、走行状態に応じて空燃比を適正化する仕組みだった。
PGM-CDIやRCバルブIIなども組み合わせ、吸気、点火、排気へと電子制御の範囲を広げている。
車体には異形五角形断面材を使ったアルミツインチューブフレームを採用。最高出力は引き続き45PSで、乾燥重量は127kgとなった。国内販売計画は1万8,000台、価格は57万9,000円。
さらに同年3月には「NSR250R SP」を追加した。
SP最大の特徴は、量産市販二輪車として世界初となるマグネシウム製ホイールの標準装備。前後合わせて約1.5kgの軽量化を図り、ばね下重量の軽減と慣性マスの集中化につなげた。
ロスマンズ・ホンダをイメージしたカラーリングも採用され、よりレースとのつながりを意識した仕様となっている。
1989年|MC18がさらに進化

翌1989年も型式はMC18を継続したが、中身には大きな変更が加えられた。
エンジン制御ではPGMキャブレターII、PGMイグニッションII、PGM-RCバルブへ発展。吸気、点火、排気をより細かく制御し、幅広い回転域で扱いやすい出力特性を目指した。
外観には空力性能を意識したスラントノーズ型フェアリングを採用。ミッションはクロスレシオ化され、リアタイヤも150/60R18へ拡大された。
乾燥重量は131kg、最高出力は45PS。国内年間販売計画は2万3,000台とされている。
SPには乾式多板クラッチを装備。マグネシウム製ホイールや減衰力調整機構付きサスペンションと組み合わせ、よりサーキット走行を意識した内容へ仕上げられた。
同じMC18でも、1988年型から電子制御や車体を大きく進化させたモデルとなっている。
1990年|3代目NSR250R(MC21)が登場

1990年2月には、MC21型へフルモデルチェンジした。
エンジンはシリンダー、シリンダーヘッド、クランクケース、クランクシャフトなど主要部分を新設計。電子制御には「PGM-III」を採用し、エンジン回転数やアクセル開度、ギア段数などから走行状態を判断して、吸気・点火・排気を総合的に制御する仕組みへと進化した。
最高出力は45PS、乾燥重量は132kg。国内年間販売計画は2万台となっている。
車体で目を引くのが、右側を湾曲させたアルミ製リアフォーク「ガルアーム」。排気チャンバーとの干渉を避けながら剛性を確保する構造で、MC21を象徴する装備のひとつとなった。
同年にはSPも2,500台限定で発売。乾式多板クラッチ、マグネシウム製ホイール、減衰力調整機構付きの前後サスペンションを備えた上級仕様である。
1991年には、標準車とSPの中間に位置する「SE」が追加された。
SEには乾式多板クラッチや減衰力調整機構付きサスペンションを標準装備。SPではさらにマグネシウム製ホイールを採用し、STD、SE、SPという3タイプの性格分けが明確になっていった。
1993年|最終世代NSR250R(MC28)が登場



1993年11月、NSR250RはMC28型へフルモデルチェンジした。
エンジン制御はPGM-IVへ発展。コンピューターを8bitから16bitへ高性能化し、吸気、点火、排気をより高度に制御できるようになった。最高出力は40PS/9,000rpmとなっている。
MC28を象徴する装備が「PGMメモリーカード・システム」。
専用カードに記録されたシリアル番号を車両側で照合し、主電源やコンピューターユニットを起動するとともに、内蔵式のハンドルロックを解除する仕組みだった。ホンダは、メインスイッチ部にこうした複合的な電子機能を持たせたシステムを、量産市販車として世界初としている。
足まわりにも大きな変更が加わった。
MC21までのガルアームに代わり、リアには片持ち式の「プロアーム」を採用。排気系のレイアウト自由度や整備性を高めながら、車体の剛性感と操縦性を追求している。
STD、SE、SPの3タイプを設定し、国内年間販売計画は合計8,500台。SPは1,500台限定だった。

その後もカラーリング変更が続き、1995年型SPにはNSR500をイメージしたチャンピオンカラーを採用。1996年型SPも1,000台限定で販売されたほか、SEにも新しいカラーリングが設定されている。
エンジン制御からキーシステム、片持ち式リアフォークまで、それまでNSR250Rが積み重ねてきた技術をさらに発展させた最終世代となった。
NSR250Rと競い合った250ccレーサーレプリカ
NSR250Rが登場した1980年代は、250ccクラスのスポーツモデルが急速に高性能化した時代でもある。当時の代表的な250cc 2ストローク・スポーツは、最高出力が45PSに並ぶ一方、エンジン形式や車体構成、採用された技術には違いが見られた。
ヤマハ、スズキ、カワサキもロードレースで培った技術やノウハウを市販車へ投入。エンジンやフレーム、吸排気系、足まわりなど、最高出力の数字だけでは見えない部分でも開発競争が繰り広げられていた。
ヤマハ TZR250|デルタボックスフレームを採用

ヤマハは1985年、TZR250を発売した。
249ccの水冷2ストローク並列2気筒エンジンから45PSを発生。アルミ製デルタボックスフレームや前後17インチホイールなどを採用し、レースで培った技術やノウハウを市販車へ反映したレーサーレプリカとして開発された。
NSR250RがV型2気筒を採用したのに対し、初代TZR250は並列2気筒。エンジン形式の段階から異なるアプローチを取っていた。
1989年に登場した2代目「3MA(通称:サンマ)」では「後方排気」を採用。他メーカーがV型2気筒へ移行するなかでも並列2気筒を継続し、エンジンや車体レイアウトをさらに発展させている。
その後、ヤマハはワークスレーサーYZR250で培ったV型2気筒の技術をTZR250Rにも展開した。r
スズキ RG250ガンマ/RGV250ガンマ|レーサーレプリカブームを先行

NSR250Rより早い1983年に登場したのが、スズキのRG250Γ(ガンマ)だ。
水冷2ストローク並列2気筒エンジンから45PSを発生し、市販車で世界初となるアルミ角パイプ製ダブルクレードルフレーム「AL-BOX」を採用。乾燥重量は131kgに抑えられていた。
スズキ自身もRG250Γを、後に広がるレーサーレプリカ全盛時代の先駆的なモデルとして位置づけている。

1988年には後継のRGV250Γが登場した。
エンジンは新設計の水冷2ストローク90度V型2気筒へ変更され、最高出力45PS、乾燥重量128kg。ワークスマシンRGV-Γからの技術フィードバックを受け、DC-ALBOXフレームやカセット式トランスミッションなどを採用している。
1988年型NSR250Rと同じV型2気筒、45PSという構成となり、より直接的な比較対象となったモデルである。
カワサキ KR250/KR-1|独自のエンジン構成から軽量化へ
カワサキは1984年にKR250を投入した。
特徴となったのが、2本のシリンダーを前後に配置するタンデムツインエンジン。249ccの水冷2ストローク2気筒から45PSを発生し、アルミフレームやフルフェアリングなども採用した。
1988年にはKR-1が登場。
エンジンは前傾50度の並列2気筒となり、排気デバイスKIPSやアルミ製e-BOXフレームなどを採用した。最高出力45PSに対して乾燥重量は123kgと、軽量な車体も特徴のひとつだった。
翌1989年にはKR-1Sと、スポーツプロダクションレースを意識したKR-1Rを投入。吸排気系や足まわり、ミッションなどにも手が加えられた。
まとめ
NSR250Rの歴史を振り返ると、1980~90年代の250ccスポーツが、短期間のうちに急速な技術進化を遂げていたことが見えてくる。
初代MC16からMC28まで水冷2ストロークV型2気筒という基本構成を受け継ぎながら、電子制御や車体、足まわりへ新たな技術を取り込み続けた。1986年9月の生産開始から1992年6月までに、シリーズ累計生産台数は10万台に達している。
その背景には、ロードレースからの技術フィードバックだけでなくTZR250、RGV250Γ、KR-1といったライバルの存在もあった。とくに1980年代には、国内仕様の主要な250cc 2ストローク・スポーツが45PSに並ぶなか、各メーカーがエンジンや車体、電子制御などに異なる技術を持ち込んでいた。
現在、国内主要メーカーのラインアップでは、2ストローク250ccエンジンを搭載するレーサーレプリカは姿を消している。
NSR250Rの変遷は、ひとつのモデルの歴史に加え、レースと市販車が近い距離にあり250ccクラスで各メーカーが技術を競い合っていた時代を振り返る材料にもなる。








