歴史から紐解くブランドの本質【日産編】

日産のブランドを複雑な歴史から考察する【歴史に見るブランドの本質 Vol.21】

1973年第21回東アフリカサファリラリーを駆けるダットサン240Z。ドライバーはシェカー・メッタ。
1973年第21回東アフリカサファリラリーを駆けるダットサン240Z。ドライバーはシェカー・メッタ。
自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

ダットサンの由来と日産の由来

1963年に登場したダットサン・ブルーバード1300DX。
1963年に登場したダットサン・ブルーバード1300DX。

日産自動車の起源は、1911年に橋本増治郎によって設立された快進社自動車工場である。1914年に第一号車が完成するが、設立に出資した3人(田、青山、竹内)の頭文字を取って、製造した車にDAT号と名付け、社名もダット自動車製造に変更する。しかし生産は軌道に乗らず、経営は安定しなかった。そこで戸畑鋳物という会社の傘下に収まることとなった。

ダット自動車製造は小型乗用車の生産にも乗りだし、DATのSON(息子)という意味のダットソンと命名したが、「損」を連想するということでダットサン(DATSUN)と改名した。

戸畑鋳物を経営していた鮎川義介は久原鉱業の社長にも就任し、社名を日本産業と改めた。一方でダット自動車製造は1933年に石川島自動車製作所と合併し自動車工業株式会社となったが、鮎川はその乗用車製造部門を独立させ、日本産業からも出資をして1934年に日産自動車と名付けたのである(残ったトラックを主に製造する自動車工業株式会社は、その後いすゞとなる)。ここでダットサンを製造する日産、という形がようやく完成する。

プリンス自動車工業の比重

戦後日産は英オースチン社と提携してオースチン車の生産を始め、その技術をベースに戦後型のダットサンを開発した。このダットサンは1958年に豪州ラリーに挑戦し、クラス優勝を遂げている。

ところで現在の日産ブランドを語る上で忘れてはならないのは、1966年に吸収合併したプリンス自動車工業の存在である。なぜならば、現在の日産のブランドイメージを形成している要素のうち、プリンス由来のものが大きな比重を占めているからである。

プリンス自動車工業は戦前の立川飛行機出身のエンジニアによって作られた東京電気自動車株式会社がその母体で、ガソリン車主体に変更し、1952年にプリンス自動車と改名した。プリンスは優秀な元航空エンジニアを多数抱え、先進技術を次々に投入した。1962年に鈴鹿サーキットが完成するとモータースポーツにも積極的に関与し、1964年に登場した小型車スカイラインに6気筒エンジンを搭載したスカイラインGTは日本中に衝撃を与えた。

日産を代表するスポーツカーの源流

今でも根強いファンが多いS30型初代フェアレディZ。
今でも根強いファンが多いS30型初代フェアレディZ。

スカイラインGTは第2回日本グランプリで今でも語り継がれるポルシェ904との激闘を演じた。プリンスはポルシェを打倒すべく純レーシングカーR380の開発も行うが、そのような技術偏重な経営姿勢が祟って経営難となり、日産に吸収合併されることになった。

その後プリンス系の車種も日産ブランドで売られることになるが、スカイラインにR380由来のS20エンジンを搭載したスカイラインGT-Rはまさにプリンスの技術の集大成であり、その開発をリードした桜井眞一郎もプリンス出身のエンジニアである。その後日産はR381、R382と高性能レーシングカーを開発するが、その開発を統括したのも桜井だった。スカイラインも7代目まで桜井が開発を主導、GT-Rが復活することになる8代目のR32もプリンス出身の伊藤修令が開発している。

日産のラリー活動はブルーバード、フェアレディZなど日産系の車種・技術中心だったが、レース活動ではプリンスの技術が中心だったのだ。今も日産を象徴するGT-RとフェアレディZだが、その源流はこのように異なるものなのである。

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著者プロフィール

山崎 明 近影

山崎 明

1960年、東京・新橋生まれ。1984年慶應義塾大学経済学部卒業、同年電通入社。1989年スイスIMD MBA修了。…