「ソアラのすべて」も「ピアッツァのすべて」もマニア心をくすぐり、欲求を満たしてくれた。【自動車ジャーナリスト 島崎七生人コラム】

「モーターファン」は教科書、「すべてシリーズ」は副読本だった! 【自動車ジャーナリスト 島崎七生人コラム】

自動車ジャーナリストとして多くのメディアで活躍中の島崎七生人さんは、雑誌「モーターファン」と、「モーターファン 」から派生した「ニューモデル速報=通称“すべてシリーズ”」に、小学生時代にまでさかのぼる飛び切りの思い入れがあるという。ひとりのクルマ好きの視点で、良き時代の思い出を語ってもらった。
PHOTO&REPORT:島崎七生人(Naoto Shimazaki)

「モーターファン」が教科書だったという世代の方は多いと思う。何を隠そう筆者もその1人で、読者になったのはAB版の時代の’70年代以降ではあったが小学生の頃から購読を始め、毎月1日になると親からもらった小遣いをズボンのポケットに突っ込み自転車を本屋へ走らせると、雑誌コーナーで“最新号”が平積みになっているのを見つけ、心弾ませて手にとったもの。ほかにもクルマ雑誌は何誌も読んでいたほか、鉄道(鉄道模型も)、オーディオ(昔はエアチェックの番組表目当てにFM雑誌も買っていた)、カメラなども守備範囲だったから(それと当時、SNOOPYの月刊誌というのがあり、それも買っていた)、あれこれと雑誌を買い漁っていると小遣いの大部分は消えていった……というより、実際には小遣いはいくらあっても足りず、親には「参考書を買うから」と申告し、実はクルマ雑誌を買っていた……というのは、(多分親にはお見通しだったはずだが)今だから言える事実だった。

近年ではネットが当たり前になり、世界中のありとあらゆる情報が即座に自宅にいながらにして手に入るようになったが、昔はこうはいかなかった。なので、毎月「モーターファン」に載っている内外自動車メーカーのニューモデル情報や試乗記、海外のショーのレポートなどを胸をときめかせながら読んだものだ。実は読んでいた自動車雑誌は「モーターファン」だけではなかったし、その後に誕生した雑誌なら創刊号から揃えて、バックナンバーはずっと捨てずにもっていたのだが、10数年前に自宅の建て替えで昔ながらの家を蔵や物置きごと取り壊すことになり、その時に「ポパイ」「メンズクラブ」「日本カメラ」「ステレオ」などと共に大半の雑誌類を泣く泣く手放した。小学生の頃から社会人になり、後に今の仕事についてからも欠かさず買ってとっておいた分(昔の家の和室2部屋と蔵の床は本当に抜けた)のほとんどすべての自動車雑誌を、まとめてとある業者に引き取ってもらうと、その時に送り出した分量は、専用の段ボールに小分けで収めて、200とか300とか、あるいはそれ以上の個数になった。

ところで「モーターファン」が教科書だったとすれば“副読本”といえるのが“ニューモデル速報”、いわゆる“すべてシリーズ”だ。「モーターファン」を購読していた僕は、当然、この“すべてシリーズ”の愛読者のひとりでもあった。ご承知のとおり“すべてシリーズ”は当初「モーターファン・ニューモデル速報」と銘打たれ、発刊は今から41年も前のこと。記念すべき第一弾は「トヨタ・ソアラのすべて」(昭和56年4月11日発行)、続く第2弾が「いすゞピアッツァのすべて」(昭和56年6月22日発行)だった。それまでもモーターファンでは、単独車種の特集ページを抜き刷りの冊子にしたもの(ファミリア・ロータリークーペ、2代目コロナ・マークIIなどが手元にある)はあったが、それがシリーズ化されての刊行というのだから小躍りしたのはいうまでもない。しかもその内容は、試乗記以外にも開発秘話、デザイン、メカニズム解説など、1台を深堀りした情報で充実し、資料性も高く、マニア心をくすぐり欲求を満たすものだった。

ニューモデル速報の記念すべき第1弾は「トヨタ・ソアラのすべて」だった。昭和56年(西暦1981年)4月11日発行。同シリーズの最新刊は、令和4年6月9日発売の「第620弾 新型ステップワゴンのすべて」

もちろん僕の手元には、今も第1弾のソアラと第2弾のピアッツァはある。どちらも’80年代初頭に相応しいエポックメイキングな国産ニューモデルで、クルマそのもののデビューもセンセーショナルだったが、ワクワクしながらページをめくり、隅々まで記事を読み、写真を眺め、実車に思いを馳せたことをつい昨日のことのように思い出す。この2モデルが発売された1981年当時の僕は大学生だったから、友人と学校帰りにデニーズかどこかに寄り道をしては、おかわり自由のアメリカンコーヒーを何杯も飲みながらテーブルの上にこの2冊を置き、あれこれクルマ談義に花を咲かせていたのかもしれない。そういえば綴じ込みで縮刷カタログはついているのも“すべてシリーズ”の魅力で、ディーラーに行かずともカタログが手に入ったも同然だったのもよかった。“同然”と書いたのは、結局、実車を見たくてディーラーのショールームへ行き、その際、本物の厚口カタログは貰ってくるのは慣わしだったから。ちなみにその時のカタログのほうも、僕は今でも手元に残している。

今でも筆者の手元に大切に保管されている「第一弾 トヨタ・ソアラのすべて」「第二弾 いすゞピアッツァのすべて」と、それぞれのカタログ原本。「ピアッツァのすべて」は、シリーズで唯一、横長の変わった判型が採用されていた。


 “すべてシリーズ”は、その後も(今でも)ずっと買い続けている。といっても実はある時期の数年間のバックナンバーがゴソッと抜けているのだが、それは“すべてシリーズ”と同形態の「ゴールドカートップ・ニューカー速報」を手伝い、読者の立場ではなく、取材、試乗、インタビューをし、その原稿を書く立場にあった時期だったため。その頃は取材現場で“すべてシリーズ”のチーム、カメラマンとはよく顔を合わせたりすれ違ったりしたものだ。

ソアラとピアッツァ、二台のカタログ写真を見ているだけでも、国産車の黄金期の記憶が鮮明に蘇ってくるようだ。

思えば“すべてシリーズ”が発刊された’80年代から’90年代にかけて、国産車が今よりももっと輝いていたような気がする。手元の“すべてシリーズ”をみても、第3弾の3代目セリカ&2代目セリカXX以降、6代目スカイライン(R30)、3代目コスモ、3代目カリーナ、2代目アコード、スカイラインRS、初代シティ、7代目コロナ……(←第4弾が1冊見つからなかったのだが、車種は何だったかおわかりだろうか?)と続いているが、新型が登場するとどのクルマも個性、魅力があって気になり、勢い、そうした新型車がこと細かに文字と写真で紹介された(縮刷カタログまでついた)“すべてシリーズ”は、発売されれば無条件で本屋に出向き買ったものだ。ただのフラットなアルバム本とは違い、開発エンジニアの生の声、思いも知ることができ、そのクルマへの理解がさまざまな角度からより深められることはいうまでもない。バックナンバーを見返していると、国産車の足跡(自分の足跡も?)をシミジミと辿ることができる。

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著者プロフィール

島崎 七生人 近影

島崎 七生人

東京都生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。試乗記であれば眉間にシワを寄せずに、イ…