
ロードスターとRX-8の間を狙った幻のFRクーペ
2006年1月、デトロイトモーターショー。マツダは一台のコンパクトスポーツクーペを発表した。
その名はKABURA(鏑)。

鏑矢(かぶらや)の「鏑」に由来し、「戦いの始まりを告げる矢」という意味が込められていた。このクルマは単なるデザインスタディではない。後輪駆動、6速MT、2.0L直列4気筒エンジンを搭載し、NCロードスターのメカニズムをベースに開発された現実味の高いコンセプトカーだった。
当時マツダは、「走る歓び=Zoom-Zoom」をブランドメッセージとして掲げていた。
KABURAは、その思想をもっとも若い世代へ届けようとした一台だったのである。
フォード傘下で花開いた「マツダデザイン黄金期」
2000年代半ばのマツダは、経営面ではフォード傘下にありながら、デザインでは独自色を最も強く打ち出していた時代でもあった。
1996年、経営再建を進めるためフォードはマツダへの出資比率を引き上げ、実質的な経営権を握る。その後、マーク・フィールズやルイス・ブースらフォード出身経営陣のもとで徹底した構造改革が進められ、開発コストや生産体制はフォード・グループとの共通化が加速した。


しかし、その一方でデザイン部門には比較的大きな自由度が与えられていた。
当時のマツダは「Athletic Design(アスレチックデザイン)」を掲げ、単なるスタイリングではなく、筋肉質で躍動感のあるフォルムをブランドの個性として育てようとしていた。RX-8、NCロードスター、CX-7などに共通する張り出したフェンダーや力強い面構成は、その思想から生まれている。
当時デザイン部門全体を率いていたのはモーレイ・カラムだった。
一方、北米デザインスタジオではラウレンス・ファン・デン・アッカーがデザインディレクターを務め、若いデザイナーたちが自由な発想でコンセプトカーを生み出していた。
その中心人物が、オランダ出身のデザインディレクター、ラウレンス・ファン・デン・アッカーであり、北米デザインスタジオではフランツ・フォン・ホルツハウゼンら若いデザイナーが自由な発想で次世代のマツダ像を模索していた。
KABURAは、まさにそんな時代を象徴するコンセプトカーだった。
アスレチックデザイン時代の集大成

2000年代前半のマツダは、大きなデザイン転換期を迎えていた。
デザイン部門を率いていたのは、スコットランド出身のモーレイ・カラム。ジャガーやアストンマーティンで数々の名車を生み出したイアン・カラムの実弟である。モーレイ・カラムが掲げたキーワードは、Athletic Design(アスレチックデザイン)。筋肉質なフェンダー。前傾したスタンス。走り出しそうな緊張感。スポーツカーだけではなく、SUVであっても走り出す瞬間の躍動感をデザインで表現することを目指した。



RX-8、NCロードスター、CX-7など、この時代のマツダ車には共通した躍動感があった。KABURAも、その流れのなかから生まれたコンセプトカーだった。
デザインを担当したのは、北米デザインスタジオに在籍していたフランツ・フォン・ホルツハウゼン。
彼は、その後テスラへ移籍し、Model S、Model 3、Model X、Model Y、Cybertruckまで手掛けることになる。
「3人で乗る」若者を観察して生まれた3+1レイアウト

KABURA最大の特徴は、「3+1シートレイアウト」だった。
当時、マツダ北米デザインスタジオでは20代の若者、「Generation Y」のライフスタイルを調査していた。
すると、多くの若者はクルマに乗る際、「2人」ではなく「3人」で行動するケースが多いことがわかったという。一般的な2+2クーペでは、後席は狭く、乗り降りもしづらい。
そこで助手席を約15cm前へオフセットし、その後ろには大人が快適に座れるスペースを確保した。一方、運転席側後席は補助席と割り切る。


つまり3人が快適で、必要なら4人も乗れるスポーツクーペという発想だった。さらに助手席側には、RX-8のフリースタイルドアをさらに発展させたスライド式サブドアまで採用していた。奇抜なアイデアではなく、「若者はどう使うのか」という観察から生まれたパッケージングだったのである。

スポーツカーなのに環境も考えていた
インテリアには再生皮革を採用。ルーフ後端には太陽電池を組み込んだ可動式ガラスパネルを備えた。
電動で持ち上がることで
・ルーフスポイラー
・室内換気
・後席ヘッドクリアランス確保
という3つの役割を果たす。
2006年としては、かなり先進的なアイデアだった。環境性能とデザイン性を同時に成立させようという考え方は、現在のマツダにも通じるものがある。
なぜ市販されなかったのか

では、なぜKABURAは量産されなかったのか。
もちろん、マツダは理由を公表していない。しかし、当時を振り返ると、いくつもの要因が重なっていたように思える。
まず、商品企画上の問題だ。
KABURAはロードスターとRX-8の中間に位置する存在だった。ロードスターほど割り切らず、RX-8ほど高価でもない。魅力的なポジションだった一方で、両車と販売面で競合する可能性もあった。
さらに2007年にはサブプライムローン問題が始まり、2008年にはリーマンショックが世界を襲う。

KABURAが発表された当時、マツダは「若者向けFRクーペ」という市場の将来性を信じていた。しかし、その直後に世界はリーマンショックを迎え、北米市場ではコンパクトスポーツクーペそのものが急速に縮小していく。KABURAが狙った市場は、クルマが完成する前に姿を消してしまったのである。
そして、もうひとつ大きな転機が訪れる。
2006年春、デザイン部門トップはラウレンス・ファン・デン・アッカーへ交代した。デザインテーマは「Athletic Design」から「Nagare(流れ)」へ。さらに2009年には前田育男がデザイン本部長となり、「魂動」デザインがスタートする。
マツダデザインそのものが、新しい時代へ歩み始めたのである。
KABURAが残したもの

KABURAはロードスターのクーペ版になったわけでも、RX-8の後継になったわけでもない。3+1シートレイアウトも、スライド式サブドアも、そのまま量産車へ受け継がれることはなかった。
しかし、若者のライフスタイルを徹底的に観察し、コンパクトなFRスポーツに新しい価値を与えようとした発想は、いま読み返しても驚くほど新鮮である。そして、このクルマが登場した2006年は、マツダデザインが「Athletic Design」から「Nagare」、そして「魂動」へと進化していく、その境界線にあった。
KABURAはロードスターの未来でも、RX-8の後継でもなかった。
2000年代半ばのマツダが本気で考えた、「若者のためのFRスポーツ」の答えだったのである。
しかし、その矢が放たれた直後、自動車業界はリーマンショックという未曽有の危機に襲われる。さらにマツダデザインは新たな時代へ歩み始めた。
戦いの始まりを告げるはずだった「鏑矢」は、ついに二本目が放たれることはなかった。






MAZDA KABURA
全長×全幅×全高:4050mm×1780mm×1280mm
ホイールベース:2550mm
エンジン:MZR型2.0L直列4気筒DOHC
トランスミッション:6MT
サスペンション:Fダブルウィッシュボーン式 Rマルチリンク式
タイヤ:F 245/35R19 R 245/35R20 ブリヂストンポテンザ